御文章(書き下し文)

御文章

○ 一 帖

(1) 門徒弟子章

 或人いはく、当流の​こころ​は、門徒をば​かならず​わが弟子と​こころえ​おく​べく候ふ​やらん、如来・聖人(親鸞)の御弟子と申す​べく候ふ​やらん、その分別を存知せず候ふ。また在々所々に小門徒を​もち​て候ふ​をも、このあひだ​は手次の坊主には​あひ​かくし​おき候ふ​やう​に心中を​もち​て候ふ。これ​も​しかるべく​も​なき​よし、人の申さ​れ候ふ​あひだ、おなじく​これ​も不審千万に候ふ。御ねんごろに承り​たく候ふ。

 答へ​て​いはく、この不審もつとも肝要と​こそ存じ候へ。かたのごとく耳に​とどめ​おき候ふ分、申し​のぶ​べ%し。きこしめさ​れ候へ。

 故聖人の仰せ​には、「親鸞は弟子一人も​もた​ず」と​こそ仰せ​られ候ひ​つれ。「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説き​きか​しむる​とき​は、ただ如来の御代官を申し​つる​ばかり​なり。さらに親鸞めづらしき法をも​ひろめ​ず、如来の教法を​われ​も信じ、ひと​にも​をしへ​きか​しむる​ばかり​なり。その​ほか​は、なに​を​をしへ​て弟子と​いは​ん​ぞ」と仰せ​られ​つる​なり。

さればとも同行なる​べき​ものなり。これ​によりて、聖人は「御同朋・御同行」と​こそ、かしづき​て仰せ​られ​けり。

されば​ちかごろ​は大坊主分の人も、われ​は一流の安心の次第をも​しら​ず、たまたま弟子の​なか​に信心の沙汰する在所へ​ゆき​て聴聞し候ふ人をば、ことのほか説諫を​くはへ候ひ​て、あるいは​なか​を​たがひ​なんど​せ​られ候ふ​あひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をば​かやうにあひ​ささへ候ふ​あひだ、われ​も信心決定せず、弟子も信心決定せず​して、一生は​むなしく​すぎゆく​やう​に候ふ​こと、まことに自損損他の​とが、のがれがたく候ふ。あさまし​あさまし。

 古歌に​いはく、
  うれしさ​を​むかし​は​そで​に​つつみ​けり こよひ​は身にも​あまり​ぬる​かな

 「うれしさ​を​むかし​は​そで​に​つつむ」といへる​こころ​は、むかし​は雑行・正行の分別も​なく、念仏だに​も申せ​ば、往生する​と​ばかり​おもひ​つる​こころ​なり。

「こよひ​は身にも​あまる」といへる​は、正雑の分別を​ききわけ、一向一心に​なり​て、信心決定の​うへ​に仏恩報尽の​ため​に念仏申す​こころ​は、おほきに各別なり。かるがゆゑに身の​おきどころ​も​なく、をどりあがる​ほどに​おもふ​あひだ、よろこび​は身にも​うれしさ​が​あまり​ぬる​といへる​こころ​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明三年七月十五日

(2) 出家発心章

 当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心の​かたち​を本と​せず、捨家棄欲の​すがた​を標せ​ず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せ​しむる​とき​は、さらに男女老少を​えらば​ざる​ものなり。

されば​この信を​え​たる位を、経(大経・下)には「即得往生住不退転」と説き、釈(論註・上意)には「一念発起入正定之聚」とも​いへり。これ​すなはち不来迎の談、平生業成の義なり。

 和讃(高僧和讃)に​いはく、「弥陀の報土を​ねがふ​ひと 外儀の​すがた​は​こと​なり​と 本願名号信受して 寤寐に​わするる​こと​なかれ」といへり。

「外儀の​すがた」といふは、在家・出家、男子・女人を​えらば​ざる​こころ​なり。

つぎに「本願名号信受して寤寐に​わするる​こと​なかれ」といふは、かたち​は​いかやうなり​といふとも、また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の​ともがら​なれども、回心懴悔して、ふかく、かかる​あさましき機を​すくひ​まします弥陀如来の本願なり​と信知して、ふたごころなく如来を​たのむ​こころ​の、ね​ても​さめ​ても憶念の心つね​にして​わすれ​ざるを、本願たのむ決定心を​え​たる信心の行人と​は​いふ​なり。

さて​この​うへには、たとひ行住坐臥に称名す​とも、弥陀如来の御恩を報じ​まうす念仏なり​と​おもふ​べき​なり。これ​を真実信心を​え​たる決定往生の行者と​は申す​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

  あつき日に​ながるる​あせ​は​なみだ​かな かき​おく​ふで​の​あと​ぞ​をかしき

文明三年七月十八日

(3) 猟すなどり章

 まづ当流の安心の​おもむき​は、あながちに​わが​こころ​の​わろき​をも、また妄念妄執の​こころ​の​おこる​をも、とどめよ​といふ​にも​あらず。

ただ​あきなひ​をも​し、奉公をも​せよ、猟・すなどり​をも​せよ、かかる​あさましき罪業に​のみ、朝夕まどひ​ぬる​われら​ごとき​のいたづらもの​を、たすけ​ん​と誓ひ​まします弥陀如来の本願にて​まします​ぞ​と​ふかく信じ​て、一心に​ふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがり​て、たすけ​ましませ​と​おもふ​こころ​の一念の信まこと​なれば、かならず如来の御たすけ​に​あづかる​ものなり。

この​うへには、なに​と​こころえ​て念仏申す​べき​ぞ​なれば、往生は​いま​の信力に​より​て御たすけ​あり​つる​かたじけなき御恩報謝の​ため​に、わが​いのち​あら​ん​かぎり​は、報謝の​ため​と​おもひ​て念仏申す​べき​なり。

これ​を当流の安心決定し​たる信心の行者と​は申す​べき​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明三年十二月十八日

(4) 自問自答章

 そもそも、親鸞聖人の一流において​は、平生業成の義にして、来迎をも執せ​られ候は​ぬ​よし、承り​および候ふ​は、いかが​はんべる​べき​や。その平生業成と申す​こと​も、不来迎なんど​の義をも、さらに存知せず。くはしく聴聞つかまつり​たく候ふ。

 答へ​て​いはく、まことに​この不審もつとも​もつて一流の肝要と​おぼえ候ふ。おほよそ当家には、一念発起平生業成と談じ​て、平生に弥陀如来の本願の​われら​を​たすけ​たまふ​ことわり​を​ききひらく​こと​は、宿善の開発に​よる​がゆゑなり​と​こころえ​て​のち​は、わが​ちから​にて​は​なかり​けり、仏智他力の​さづけ​に​より​て、本願の由来を存知する​ものなり​と​こころうる​が、すなはち平生業成の義なり。

されば平生業成といふは、いま​の​ことわり​を​ききひらき​て、往生治定と​おもひ定むる位を、一念発起住正定聚とも、平生業成とも、即得往生住不退転とも​いふ​なり。

 問う​て​いはく、一念往生発起の義、くはしく​こころえ​られ​たり。しかれども、不来迎の義いまだ分別せず候ふ。ねんごろに​しめし​うけたまはる​べく候ふ。

 答へ​て​いはく、不来迎の​こと​も、一念発起住正定聚と沙汰せ​られ候ふ​とき​は、さらに来迎を期し候ふ​べき​こと​も​なき​なり。そのゆゑは、来迎を期する​なんど申す​こと​は、諸行の機にとりて​の​こと​なり。真実信心の行者は、一念発起する​ところ​にて、やがて摂取不捨の光益に​あづかる​とき​は、来迎まで​も​なき​なり​と​しら​るる​なり。

されば聖人の仰せ​には、「来迎は諸行往生に​あり。真実信心の行人は、摂取不捨の​ゆゑに正定聚に住す。正定聚に住する​がゆゑに、かならず滅度に至る。かるがゆゑに臨終まつ​こと​なし、来迎たのむ​こと​なし」(御消息・一意)といへり。この御ことば​をもつて​こころう​べき​ものなり。

 問う​て​いはく、正定と滅度と​は一益と​こころう​べき​か、また二益と​こころう​べき​や。

 答へ​て​いはく、一念発起の​かた​は正定聚なり。これ​は穢土の益なり。つぎ​に滅度は浄土にて得べき益にて​ある​なり​と​こころう​べき​なり。されば二益なり​と​おもふ​べき​ものなり。

 問う​て​いはく、かくのごとく​こころえ候ふ​とき​は、往生は治定と存じ​おき候ふ​に、なに​とて​わづらはしく信心を具す​べき​なんど沙汰候ふ​は、いかが​こころえ​はんべる​べき​や。これ​も承り​たく候ふ。

 答へ​て​いはく、まことに​もつて、この​たづね​の​むね肝要なり。されば​いま​の​ごとくに​こころえ候ふ​すがた​こそ、すなはち信心決定の​こころ​にて候ふ​なり。

 問う​て​いはく、信心決定する​すがた、すなはち平生業成と不来迎と正定聚と​の道理にて候ふ​よし、分明に聴聞つかまつり候ひ​をはり​ぬ。しかり​と​いへども、信心治定して​の​のち​には、自身の往生極楽の​ため​と​こころえ​て念仏申し候ふ​べき​か、また仏恩報謝の​ため​と​こころう​べき​や、いまだ​その​こころ​を得ず候ふ。

 答へ​て​いはく、この不審また肝要と​こそ​おぼえ候へ。そのゆゑは、一念の信心発得以後の念仏をば、自身往生の業と​は​おもふ​べから​ず、ただ​ひとへに仏恩報謝の​ため​と​こころえ​らる​べき​ものなり。されば善導和尚の「上尽一形下至一念」(礼讃・意)と釈せ​り。「下至一念」といふは信心決定の​すがた​なり、「上尽一形」は仏恩報尽の念仏なり​ときこえ​たり。これ​をもつて​よくよく​こころえ​らる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明四年十一月二十七日

(5) 雪中章

 そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三箇国の​あひだ​より道俗男女、群集を​なし​て、この吉崎の山中に参詣せ​らるる面々の心中の​とほり、いかが​と心もとなく候ふ。

そのゆゑは、まづ当流の​おもむき​は、このたび極楽に往生す​べき​ことわり​は、他力の信心を​え​たる​がゆゑなり。しかれども、この一流の​うち​において、しかしかと​その信心の​すがた​をも​え​たる人これ​なし。かくのごとく​の​やから​は、いかでか報土の往生をば​たやすく​とぐ​べき​や。一大事といふは​これ​なり。

幸ひに五里・十里の遠路を​しのぎ、この雪の​うち​に参詣の​こころざし​は、いかやうに​こころえ​られ​たる心中ぞや。千万心もと​なき次第なり。

所詮以前は​いかやう​の心中にて​あり​といふとも、これ​より​のち​は心中に​こころえ​おか​る​べき次第を​くはしく申す​べし。よくよく耳を​そばだて​て聴聞ある​べし。

そのゆゑは、他力の信心といふ​こと​を​しかと心中に​たくはへ​られ候ひ​て、その​うへには、仏恩報謝のために​は行住坐臥に念仏を申さ​る​べき​ばかり​なり。この​こころえ​にて​ある​ならば、このたび​の往生は一定なり。この​うれしさ​のあまり​には、師匠坊主の在所へ​も​あゆみ​を​はこび、こころざし​をも​いたす​べき​ものなり。

これ​すなはち当流の義を​よく​こころえ​たる信心の人と​は申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年二月八日

(6) 睡眠章

 そもそも、当年の夏このごろ​は、なにとやらん​ことのほか睡眠に​をかさ​れ​て、ねむたく候ふ​は​いかん​と案じ候へ​ば、不審も​なく往生の死期も​ちかづく​かと​おぼえ候ふ。まことに​もつてあぢきなく名残をしく​こそ候へ。さりながら、今日まで​も、往生の期も​いまや来ら​ん​と油断なく​そのかまへ​は候ふ。

それ​につけても、この在所において、以後まで​も信心決定する​ひと​の退転なき​やう​にも候へ​かし​と、念願のみ昼夜不断に​おもふ​ばかり​なり。

この分にて​は往生つかまつり候ふ​とも、いま​は子細なく候ふ​べきに、それ​につけて​も、面々の心中も​ことのほか油断ども​にて​こそ​は候へ。いのち​の​あら​ん​かぎり​は、われら​は​いま​の​ごとくに​て​ある​べく候ふ。よろづ​につけて、みなみな​の心中こそ不足に存じ候へ。

明日も​しら​ぬ​いのち​にて​こそ候ふ​に、なにごと​を申す​も​いのち​をはり候は​ば、いたづらごと​にて​ある​べく候ふ。いのち​の​うち​に不審も疾く疾く​はれ​られ候は​では、さだめて後悔のみ​にて候は​んずる​ぞ、御こころえ​ある​べく候ふ。

あなかしこ、あなかしこ。

 この障子の​そなた​の人々の​かた​へ​まゐら​せ候ふ。のち​の年に​とり出し​て御覧候へ。

文明五年卯月二十五日これ​を書く。

(7) 弥生中半章

 さんぬる文明第四の暦、弥生中半の​ころ​か​と​おぼえ​はんべり​し​に、さ​も​あり​ぬ​らんと​みえ​つる女性一二人、男なんど​あひ具し​たる​ひとびと、この山の​こと​を沙汰し​まうし​ける​は、そもそも​このごろ吉崎の山上に一宇の坊舎を​たて​られ​て、言語道断おもしろき在所かな​と申し候ふ。なか​にも​ことに、加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七箇国より、かの門下中、この当山へ道俗男女参詣を​いたし、群集せしむる​よし、そのきこえ​かくれなし。これ末代の不思議なり。ただごと​とも​おぼえ​はんべら​ず。

さりながら、かの門徒の面々には、さても念仏法門をば​なにと​すすめ​られ候ふ​やらん。とりわけ信心といふ​こと​を​むね​と​をしへ​られ候ふ​よし、ひとびと申し候ふ​なる​は、いかやうなる​こと​にて候ふ​やらん。くはしく​きき​まゐらせ​て、われら​も​この罪業深重の​あさましき女人の身を​もち​て候へ​ば、その信心と​やらん​を​ききわけ​まゐらせ​て、往生を​ねがひ​たく候ふ​よし​を、かの山中の​ひと​に​たづね​まうし​て候へ​ば、

しめし​たまへ​る​おもむき​は、「なに​の​やう​も​なく、ただ​わが身は十悪・五逆、五障・三従の​あさましき​もの​ぞ​と​おもひ​て、ふかく、阿弥陀如来は​かかる機を​たすけ​まします御すがた​なり​と​こころえ​まゐらせ​て、ふたごころなく弥陀を​たのみたてまつり​て、たすけ​たまへ​と​おもふ​こころ​の一念おこる​とき、かたじけなく​も如来は八万四千の光明を放ち​て、その身を摂取し​たまふ​なり。これ​を弥陀如来の念仏の行者を摂取し​たまふ​といへる​は​この​こと​なり。

摂取不捨といふは、をさめとり​て​すて​たまは​ず​といふ​こころ​なり。この​こころ​を信心を​え​たる人と​は申す​なり。さて​この​うへには、ね​ても​さめ​てもたつ​ても​ゐ​ても、南無阿弥陀仏と申す念仏は、弥陀にはや​たすけ​られ​まゐらせ​つる​かたじけなさ​の、弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏と​となへ​て報じ​まうす念仏なり​と​こころう​べき​なり」と​ねんごろに​かたり​たまひ​しかば、

この女人たち、その​ほか​の​ひと、申さ​れ​ける​は、「まことに​われら​が根機に​かなひ​たる弥陀如来の本願にて​ましまし候ふ​をも、いま​まで信じ​まゐらせ候は​ぬ​こと​の​あさましさ、申す​ばかり​も候は​ず。いま​より​のち​は一向に弥陀を​たのみ​まゐらせ​て、ふたごころなく一念に​わが往生は如来の​かた​より御たすけ​あり​けり​と信じ​たてまつり​て、その​のち​の念仏は、仏恩報謝の称名なり​と​こころえ候ふ​べき​なり。かかる不思議の宿縁に​あひ​まゐらせ​て、殊勝の法を​きき​まゐらせ候ふ​こと​の​ありがたさ​たふとさ、なかなか申す​ばかり​も​なく​おぼえ​はんべる​なり。いま​は​はや​いとま申す​なり」とて、涙を​うかめ​て、みなみな​かへり​に​けり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年八月十二日

(8) 吉崎建立章

 文明第三初夏上旬の​ころ​より、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなくふと​しのび出で​て、越前・加賀諸所を経回せしめ​をはり​ぬ。

よつて当国細呂宜郷内吉崎といふ​この在所、すぐれ​て​おもしろき​あひだ、年来虎狼の​すみなれ​し​この山中を​ひきたひらげ​て、七月二十七日より​かたのごとく一宇を建立して、昨日今日と過ぎゆく​ほどに、はや三年の春秋は送り​けり。

さるほどに道俗男女群集せしむ​と​いへども、さらに​なにへんともなき体なる​あひだ、当年より諸人の出入を​とどむる​こころ​は、この在所に居住せしむる根元は​なにごと​ぞ​なれば、そもそも人界の生を​うけ​て​あひ​がたき仏法に​すでに​あへ​る身が、いたづらに​むなしく捺落に沈ま​ん​は、まことに​もつてあさましき​こと​には​あらず​や。

しかるあひだ念仏の信心を決定して極楽の往生を​とげ​ん​と​おもは​ざらん人々は、なにしに​この在所へ来集せん​こと、かなふ​べから​ざる​よし​の成敗を​くはへ​をはり​ぬ。これ​ひとへに名聞・利養を本と​せ​ず、ただ後生菩提を​こと​と​する​がゆゑなり。

しかれば、見聞の諸人、偏執を​なす​こと​なかれ。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月 日

(9) 物忌章

 そもそも、当宗を、昔より人こぞりてをかしく​きたなき宗と申す​なり。これ​まことに道理の​さす​ところ​なり。

そのゆゑは、当流人数の​なか​において、あるいは他門・他宗に対し​て​はばかり​なく​わが家の義を申し​あらはせ​る​いはれ​なり。これ​おほきなる​あやまり​なり。それ、当流の掟を​まもる​といふは、わが流に伝ふる​ところの義を​しかと内心に​たくはへ​て、外相に​その​いろ​を​あらはさ​ぬ​を、よく​もの​に​こころえ​たる人と​は​いふ​なり。

しかるに当世は​わが宗の​こと​を、他門・他宗に​むかひ​て、その斟酌も​なく聊爾に沙汰する​によりて、当流を人のあさま​に​おもふ​なり。かやうに​こころえ​の​わろき​ひと​の​ある​によりて、当流を​きたなく​いまはしき宗と人おもへ​り。さらに​もつて​これ​は他人わろき​には​あらず、自流の人わろき​に​よる​なり​と​こころう​べし。

つぎに物忌といふ​こと​は、わが流には仏法についてもの​いま​は​ぬ​といへる​こと​なり。他宗にも公方にも対し​ては、などか物を​いま​ざらん​や。他宗・他門に​むかひ​ては​もとより​いむ​べき​こと勿論なり。また​よそ​の人の物いむ​と​いひ​て​そしる​こと​ある​べから​ず。

しかり​と​いへども、仏法を修行せん​ひと​は、念仏者に​かぎら​ず、物さのみ​いむ​べから​ず​と、あきらかに諸経の文にも​あまた​みえ​たり。

まづ涅槃経(梵行品)に​のたまはく、「如来法中無有選択吉日良辰」といへり。この文の​こころ​は、「如来の法の​なか​に吉日良辰を​えらぶ​こと​なし」となり。

また般舟経に​のたまはく、「優婆夷聞是三昧欲学者至 自帰命仏帰命法帰命比丘僧 不得事余道不得拝於天不得祠鬼神不得視吉良日」上といへり。この文の​こころ​は、「優婆夷この三昧を聞き​て学ば​ん​と欲せ​ん​もの​は、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道に事ふる​こと​を得ざれ、天を拝する​こと​を得ざれ、鬼神を祠る​こと​を得ざれ、吉良日を視る​こと​を得ざれ」といへり。

かくのごとく​の経文ども​これ​あり​と​いへども、この分を出す​なり。ことに念仏行者は​かれら​に事ふ​べから​ざる​やう​に​みえ​たり。よくよく​こころう​べし。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月 日

(10) 当山多屋内方章

 そもそも、吉崎の当山において多屋の坊主達の内方と​なら​ん​ひと​は、まことに先世の宿縁あさから​ぬ​ゆゑ​と​おもひ​はんべる​べき​なり。それ​も後生を一大事と​おもひ、信心も決定し​たらん身にとりて​の​うへ​の​こと​なり。しかれば、内方と​なら​ん​ひとびと​は、あひかまへて信心を​よくよく​とら​る​べし。

それ、まづ当流の安心と申す​こと​は、おほよそ浄土一家の​うち​において、あひ​かはり​て​ことに​すぐれ​たる​いはれ​ある​がゆゑに、他力の大信心と申す​なり。されば​この信心を​え​たる​ひと​は、十人は十人ながら百人は百人ながら、今度の往生は一定なり​と​こころう​べき​ものなり。その安心と申す​は、いかやうに​こころう​べき​こと​やらん、くはしく​も​しり​はんべら​ざる​なり。

 答へ​て​いはく、まことに​この不審肝要の​こと​なり。おほよそ当流の信心を​とる​べき​おもむき​は、まづわが身は女人なれば、罪ふかき五障・三従とて​あさましき身にて、すでに十方の如来も三世の諸仏にも​すて​られ​たる女人なり​ける​を、かたじけなく​も弥陀如来ひとり​かかる機を​すくは​ん​と誓ひ​たまひ​て、すでに四十八願を​おこし​たまへ​り。その​うち第十八の願において、一切の悪人・女人をたすけ​たまへ​る​うへ​に、なほ女人は罪ふかく疑の​こころ​ふかき​によりて、また​かさねて第三十五の願に​なほ女人を​たすけ​ん​といへる願を​おこし​たまへ​る​なり。かかる弥陀如来の御苦労あり​つる御恩の​かたじけなさ​よ​と、ふかく​おもふ​べき​なり。

 問う​て​いはく、さて​かやうに弥陀如来の​われら​ごとき​の​もの​を​すくは​ん​と、たびたび願を​おこし​たまへ​る​こと​の​ありがたさ​をこころえわけ​まゐらせ候ひ​ぬる​について、なにとやうに機を​もち​て、弥陀を​たのみ​まゐらせ候は​ん​ずる​やらん、くはしく​しめし​たまふ​べき​なり。

 答へ​て​いはく、信心を​とり弥陀を​たのま​ん​と​おもひ​たまは​ば、まづ人間は​ただ夢幻の​あひだ​の​こと​なり、後生こそ​まことに永生の楽果なり​とおもひとり​て、人間は五十年百年の​うち​の​たのしみ​なり、後生こそ一大事なり​と​おもひ​て、もろもろ​の雑行を​このむ​こころ​を​すて、あるいは​また、もの​の​いまはしく​おもふ​こころ​をも​すて、一心一向に弥陀を​たのみ​たてまつり​て、その​ほか余の仏・菩薩・諸神等にも​こころ​を​かけ​ず​して、ただ​ひとすぢに弥陀に帰し​て、このたび​の往生は治定なる​べし​と​おもは​ば、その​ありがたさ​のあまり念仏を申し​て、弥陀如来の​われら​を​たすけ​たまふ御恩を報じ​たてまつる​べき​なり。

これを信心を​え​たる多屋の坊主達の内方の​すがた​と​は申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月十一日

(11) 電光朝露章

 それ​おもんみれ​ば、人間は​ただ電光朝露の夢幻の​あひだ​の​たのしみ​ぞかし。たとひ​また栄華栄耀に​ふけり​て、おもふさま​の​こと​なり​といふとも、それ​は​ただ五十年乃至百年の​うち​の​こと​なり。もし​ただいま​も無常の風きたり​て​さそひ​なば、いかなる病苦に​あひ​て​か​むなしく​なり​なん​や。まことに死せん​とき​は、かねてたのみ​おき​つる妻子も財宝も、わが身には​ひとつ​も​あひ​そふ​こと​ある​べから​ず。されば死出の山路の​すゑ、三塗の大河をば​ただ​ひとり​こそ​ゆき​なんずれ。

これ​によりて、ただ​ふかく​ねがふ​べき​は後生なり、また​たのむ​べき​は弥陀如来なり、信心決定して​まゐる​べき​は安養の浄土なり​と​おもふ​べき​なり。これ​について​ちかごろ​は、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もつてのほか相違す。

そのゆゑは、門徒の​かた​より​もの​を​とる​を​よき弟子といひ、これ​を信心の​ひと​といへり。これ​おほきなる​あやまり​なり。また弟子は坊主に​もの​を​だに​もおほく​まゐらせ​ば、わが​ちから​かなは​ず​とも、坊主の​ちから​にて​たすかる​べき​やう​に​おもへ​り。これ​も​あやまり​なり。かくのごとく坊主と門徒の​あひだ​において、さらに当流の信心の​こころえ​の分は​ひとつ​も​なし。まことに​あさまし​や。師・弟子ともに極楽には往生せず​して、むなしく地獄に​おち​ん​こと​は疑なし。なげき​ても​なほ​あまり​あり、かなしみ​ても​なほ​ふかく​かなしむ​べし。

しかれば、今日より​のち​は、他力の大信心の次第を​よく存知し​たらん​ひと​に​あひ​たづね​て、信心決定して、その信心の​おもむき​を弟子にも​をしへ​て、もろともに今度の一大事の往生を​よくよく​とぐ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月中旬

(12) 年来超勝寺章

 そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もつてのほか相違せ​り。

その​いはれ​は、まづ座衆とて​これ​あり。いかにも​その座上に​あがり​て、さかづき​なんど​まで​もひと​より​さき​に飲み、座中のひと​にも​また​その​ほか​たれたれ​にも、いみじく​おもは​れ​んずる​が、まことに仏法の肝要たる​やう​に心中に​こころえ​おき​たり。これ​さらに往生極楽の​ため​に​あらず、ただ世間の名聞に似たり。

しかるに当流において毎月の会合の由来は​なに​の用ぞ​なれば、在家無智の身をもつて、いたづらに​くらし、いたづらに​あかして、一期は​むなしく過ぎ​て、つひに三途に沈ま​ん身が、一月に一度なり​とも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に​あつまり​て、わが信心は、ひと​の信心は、いかが​ある​らん​といふ信心沙汰を​す​べき用の会合なる​を、ちかごろ​は​その信心といふ​こと​は​かつて是非の沙汰に​およば​ざる​あひだ、言語道断あさましき次第なり。

所詮自今以後は、かたく会合の座中において信心の沙汰を​す​べき​ものなり。これ真実の往生極楽を​とぐ​べき​いはれ​なる​がゆゑなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月下旬

(13) 此方十劫邪義章

 そもそも、ちかごろ​は、この方念仏者の​なか​において、不思議の名言を​つかひ​て、これ​こそ信心を​え​たる​すがた​よ​といひ​て、しかも​われ​は当流の信心を​よく知り顔の体に心中に​こころえ​おき​たり。

その​ことば​に​いはく、「十劫正覚の​はじめ​より、われら​が往生を定め​たまへ​る弥陀の御恩を​わすれ​ぬ​が信心ぞ」といへり。これ​おほきなる​あやまり​なり。そも弥陀如来の正覚を成りたまへ​る​いはれ​を​しり​たり​といふとも、われら​が往生す​べき他力の信心といふ​いはれ​を​しら​ずは、いたづらごと​なり。

しかれば、向後において​は、まづ当流の真実信心といふ​こと​を​よくよく存知す​べき​なり。

その信心といふは、大経には三信と説き、観経には三心と​いひ、阿弥陀経には一心と​あらはせ​り。

三経ともに​その名かはり​たり​と​いへども、その​こころ​は​ただ他力の一心を​あらはせ​る​こころ​なり。

されば信心といへる​その​すがた​は​いかやうなる​こと​ぞ​といへ​ば、まづ​もろもろ​の雑行を​さしおき​て、一向に弥陀如来を​たのみ​たてまつり​て、自余の一切の諸神・諸仏等にも​こころ​を​かけ​ず、一心に​もつぱら弥陀に帰命せば、如来は光明をもつて​その身を摂取して捨て​たまふ​べから​ず。これ​すなはち​われら​が一念の信心決定し​たる​すがた​なり。

かくのごとく​こころえ​て​の​のち​は、弥陀如来の他力の信心を​われら​に​あたへ​たまへ​る御恩を報じ​たてまつる念仏なり​と​こころう​べし。

これ​をもつて信心決定し​たる念仏の行者と​は申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明第五、九月下旬の​ころ​これ​を書く云々。

(14) 誡誹謗章

 そもそも、当流念仏者の​なか​において、諸法を誹謗す​べから​ず。まづ越中・加賀ならば、立山・白山その​ほか諸山寺なり。越前ならば、平泉寺・豊原寺等なり。

されば経(大経)にも、すでに「唯除五逆誹謗正法」と​こそ​これ​を​いましめ​られ​たり。これ​によりて、念仏者は​ことに諸宗を謗ず​べから​ざる​ものなり。

また聖道諸宗の学者達も、あながちに念仏者をば謗ず​べから​ず​と​みえ​たり。その​いはれ​は、経釈ともに​その文これ​おほし​と​いへども、まづ八宗の祖師龍樹菩薩の智論(大智度論)に​ふかく​これ​を​いましめ​られ​たり。その文に​いはく、「自法愛染故 毀呰他人法 雖持戒行人 不免地獄苦」といへり。

かくのごとく​の論判分明なる​とき​は、いづれ​も仏説なり。あやまりて謗ずる​こと​なかれ。それ、みな一宗一宗の​こと​なれば、わが​たのま​ぬ​ばかり​にて​こそ​ある​べけれ。ことさら当流の​なか​において、なに​の分別も​なき​もの、他宗を​そしる​こと勿体なき次第なり。あひかまへて​あひかまへて、一所の坊主分たる​ひと​は、この成敗を​かたく​いたす​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月下旬

(15) 宗名章

 問う​て​いはく、当流を​みな世間に流布して、一向宗と​なづけ候ふ​は、いかやうなる子細にて候ふ​やらん、不審に​おぼえ候ふ。

 答へ​て​いはく、あながちに​わが流を一向宗と​なのる​こと​は、別して祖師(親鸞)も定め​られ​ず。おほよそ阿弥陀仏を一向に​たのむ​に​より​て、みな人の申し​なす​ゆゑ​なり。しかり​と​いへども、経文(大経・下)に「一向専念無量寿仏」と説き​たまふ​ゆゑに、一向に無量寿仏を念ぜよ​といへる​こころ​なる​とき​は、一向宗と申し​たる​も子細なし。

さりながら開山(親鸞)は​この宗をば浄土真宗と​こそ定め​たまへ​り。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗より申さ​ぬ​なり​と​しる​べし。されば自余の浄土宗は​もろもろ​の雑行を​ゆるす。わが聖人(親鸞)は雑行を​えらび​たまふ。この​ゆゑに真実報土の往生を​とぐる​なり。この​いはれ​ある​がゆゑに、別して真の字を入れ​たまふ​なり。

 また​のたまはく、当宗を​すでに浄土真宗と​なづけ​られ候ふ​こと​は分明に​きこえ​ぬ。しかるに​この宗体にて、在家の罪ふかき悪逆の機なり​といふとも、弥陀の願力に​すがり​て​たやすく極楽に往生す​べき​やう、くはしく承り​はんべら​ん​と​おもふなり。

 答へ​て​いはく、当流の​おもむき​は、信心決定し​ぬれ​ば​かならず真実報土の往生を​とぐ​べき​なり。されば​その信心といふは​いかやうなる​こと​ぞ​といへ​ば、なに​のわづらひ​も​なく、弥陀如来を一心に​たのみ​たてまつり​て、その余の仏・菩薩等にも​こころ​を​かけ​ず​して、一向に​ふたごころなく弥陀を信ずる​ばかり​なり。これ​をもつて信心決定と​は申す​ものなり。

信心といへる二字をば、まこと​の​こころ​と​よめ​る​なり。まこと​の​こころ​といふは、行者の​わろき自力の​こころ​にて​は​たすから​ず、如来の他力の​よき​こころ​にて​たすかる​がゆゑに、まこと​の​こころ​と​は申す​なり。

また名号をもつて​なに​の​こころえ​も​なく​して、ただ​となへ​ては​たすから​ざる​なり。されば経(大経・下)には、「聞其名号信心歓喜」と説け​り。「その名号を聞く」といへる​は、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実に​きく​に​あらず。善知識に​あひ​てその​をしへ​を​うけ​て、この南無阿弥陀仏の名号を南無と​たのめ​ば、かならず阿弥陀仏の​たすけ​たまふ​といふ道理なり。これ​を経に「信心歓喜」と説か​れ​たり。これ​によりて、南無阿弥陀仏の体は、われら​を​たすけ​たまへ​る​すがた​ぞ​と​こころう​べき​なり。

かやうに​こころえ​て​のち​は、行住坐臥に口に​となふる称名をば、ただ弥陀如来の​たすけ​まします御恩を報じ​たてまつる念仏ぞ​と​こころう​べし。これ​をもつて信心決定して極楽に往生する他力の念仏の行者と​は申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明第五、九月下旬第二日巳剋に至り​て加州山中湯治の内に​これ​を書き集め​をはり​ぬ。

釈証如(花押)

○ 二 帖

(1) 御さらへ章

 そもそも、今度一七箇日報恩講の​あひだ​において、多屋内方も​その​ほか​の人も、大略信心を決定し​たまへ​る​よし​きこえ​たり。めでたく本望これ​に​すぐ​べから​ず。

さりながら、その​まま​うちすて候へ​ば、信心も​うせ候ふ​べし。細々に信心の溝を​さらへ​て、弥陀の法水を流せ​といへる​こと​ありげ​に候ふ。

それ​について、女人の身は十方三世の諸仏にも​すて​られ​たる身にて候ふ​を、阿弥陀如来なれば​こそ、かたじけなく​も​たすけ​ましまし候へ。

そのゆゑは、女人の身は​いかに真実心に​なり​たり​といふとも、疑の心は​ふかく​して、また物なんど​の​いまはしく​おもふ心は​さらに失せがたく​おぼえ候ふ。ことに在家の身は、世路に​つけ、また子孫なんど​の​こと​によそへ​ても、ただ今生に​のみ​ふけり​て、これ​ほど​に、はや目に​みえ​てあだなる人間界の老少不定の​さかひ​と​しり​ながら、ただいま三途・八難に沈ま​ん​こと​をば、露ちり​ほど​も心に​かけ​ず​して、いたづらに​あかしくらす​は、これ​つね​の人の​ならひ​なり。あさまし​といふ​もおろかなり。

これ​によりて、一心一向に弥陀一仏の悲願に帰し​て、ふかく​たのみ​たてまつり​て、もろもろの雑行を修する心を​すて、また諸神・諸仏に追従申す心をも​みな​うちすて​て、さて弥陀如来と申す​は、かかる​われら​ごとき​の​あさましき女人の​ため​に​おこし​たまへ​る本願なれば、まことに仏智の不思議と信じ​て、わが身は​わろき​いたづらもの​なり​と​おもひつめ​て、ふかく如来に帰入する心を​もつ​べし。

さて​この信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便より​おこさ​しむる​ものなり​と​おもふ​べし。かやうに​こころうる​を、すなはち他力の信心を​え​たる人と​は​いふなり。また​この位を、あるいは正定聚に住す​とも、滅度に至る​とも、等正覚に至る​とも、弥勒に​ひとし​とも申す​なり。また​これ​を一念発起の往生定まり​たる人とも申す​なり。

かくのごとく​こころえ​て​の​うへ​の称名念仏は、弥陀如来の​われら​が往生を​やすく定め​たまへ​る、その御うれしさ​の御恩を報じ​たてまつる念仏なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 これ​について、まづ当流の掟を​よくよく​まもら​せたまふ​べし。その​いはれ​は、あひかまへて​いま​の​ごとく信心の​とほり​を​こころえ​たまは​ば、身中に​ふかく​をさめおき​て、他宗・他人に対し​て​その​ふるまひ​を​みせ​ず​して、また信心の​やう​をも​かたる​べから​ず。一切の諸神なんど​をも​わが信ぜ​ぬ​まで​なり、おろかに​す​べから​ず。

かくのごとく信心の​かた​も​その​ふるまひ​も​よき人をば、聖人(親鸞)も「よく​こころえ​たる信心の行者なり」と仰せ​られ​たり。ただ​ふかく​こころ​をば仏法に​とどむ​べきなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 文明第五、十二月八日これを書きて当山の多屋内方へ​まゐらせ候ふ。この​ほか​なほなほ不審の​こと候は​ば、かさねて問は​せたまふ​べく候ふ。

所送寒暑 五十九歳 御判

  のち​の代の​しるし​の​ため​に​かきおき​し のり​の​ことの葉かたみ​とも​なれ

(2) 出立章

 そもそも、開山聖人(親鸞)の御一流には、それ信心といふ​こと​をもつて先と​せ​られ​たり。

その信心といふは​なに​の用ぞ​といふ​に、無善造悪の​われら​が​やう​なる​あさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へ​まゐり​なんずる​ため​の出立なり。この信心を獲得せずは極楽には往生せず​して、無間地獄に堕在す​べき​ものなり。

これ​によりて、その信心を​とら​んずる​やう​は​いかん​といふ​に、それ弥陀如来一仏を​ふかく​たのみ​たてまつり​て、自余の諸善万行に​こころ​を​かけ​ず、また諸神・諸菩薩において、今生のいのり​を​のみ​なせる​こころ​を失ひ、また​わろき自力なんど​いふひがおもひ​をも​なげすてて、弥陀を一心一向に信楽して​ふたごころ​の​なき人を、弥陀は​かならず遍照の光明をもつて、その人を摂取して捨て​たまは​ざる​ものなり。

かやうに信を​とる​うへには、ね​ても​おき​ても​つね​に申す念仏は、かの弥陀の​われら​を​たすけ​たまふ御恩を報じ​たてまつる念仏なり​と​こころう​べし。かやう​に​こころえ​たる人を​こそ、まことに当流の信心を​よく​とり​たる正義と​は​いふ​べき​ものなり。この​ほか​に​なほ信心といふ​こと​の​あり​といふ人これ​あらば、おほきなる​あやまり​なり。すべて承引す​べから​ざる​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 いま​この文に​しるす​ところの​おもむき​は、当流の親鸞聖人すすめ​たまへ​る信心の正義なり。この分を​よくよく​こころえ​たらん人々は、あひかまへて他宗・他人に対し​て​この信心の​やう​を沙汰す​べから​ず。また自余の一切の仏・菩薩ならびに諸神等をも​わが信ぜ​ぬ​ばかり​なり。あながちに​これ​を​かろしむ​べから​ず。これ​まことに弥陀一仏の功徳の​うち​に、みな一切の諸神は​こもれ​り​と​おもふ​べき​ものなり。総じて一切の諸法において​そしり​を​なす​べから​ず。これ​をもつて当流の掟を​よく​まもれ​る人と​なづく​べし。

されば聖人の​いはく、「たとひ牛盗人と​は​いは​る​とも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者と​みゆる​やうに​ふるまふ​べから​ず」(改邪鈔)と​こそ仰せ​られ​たり。この​むね​を​よくよく​こころえ​て念仏をば修行す​べき​ものなり。

文明第五、十二月十二日夜これ​を書く。

(3) 神明三ヶ条章

 それ、当流開山聖人(親鸞)の​ひろめ​たまふ​ところの一流の​なか​において、みな勧化を​いたす​に​その不同これ​ある​あひだ、所詮向後は、当山多屋坊主以下その​ほか一巻の聖教を読ま​ん人も、また来集の面々も、各々に当門下にその名を​かけ​ん​ともがら​まで​も、この三箇条の篇目をもつて​これ​を存知せしめ​て、自今以後、その成敗を​いたす​べき​ものなり。

 一 諸法・諸宗ともに​これ​を誹謗す​べから​ず。

 一 諸神・諸仏・菩薩を​かろしむ​べから​ず。

 一 信心を​とら​しめ​て報土往生を​とぐ​べき事。

 右この三箇条の旨を​まもり​て、ふかく心底に​たくはへ​て、これ​をもつて本と​せ​ざら​ん人々において​は、この当山へ出入を停止す​べき​ものなり。

そもそも、さんぬる文明第三の暦、仲夏の​ころ​より花洛を出で​て、おなじき年七月下旬の候、すでに​この当山の風波あらき在所に草庵を​しめ​て、この四箇年の​あひだ居住せしむる根元は、別の子細に​あらず。この三箇条の​すがた​をもつて、かの北国中において、当流の信心未決定の​ひと​を、おなじく一味の安心に​なさ​んがため​の​ゆゑ​に、今日今時まで堪忍せしむる​ところ​なり。よつて​この​おもむき​をもつて​これ​を信用せ​ば、まことに​この年月の在国の本意たる​べき​ものなり。

 一 神明と申す​は、それ仏法において信も​なき衆生の​むなしく地獄に​おち​ん​こと​を​かなしみ​おぼしめし​て、これ​を​なにと​して​も​すくは​ん​が​ため​に、仮に神と​あらはれ​て、いささかなる縁をもつて、それ​を​たより​として、つひに仏法に​すすめ入れ​しめ​ん​ため​の方便に、神と​は​あらはれ​たまふ​なり。

しかれば、今の時の衆生において、弥陀を​たのみ信心決定して念仏を申し、極楽に往生す​べき身と​なり​なば、一切の神明は、かへりて​わが本懐と​おぼしめし​て​よろこび​たまひ​て、念仏の行者を守護し​たまふ​べき​あひだ、とりわき神を​あがめ​ね​ども、ただ弥陀一仏を​たのむ​うち​に​みな​こもれ​る​がゆゑに、別して​たのま​ざれ​ども信ずる​いはれ​の​ある​がゆゑなり。

 一 当流の​なか​において、諸法・諸宗を誹謗する​こと​しかるべから​ず。いづれ​も釈迦一代の説教なれば、如説に修行せば​その益ある​べし。さりながら末代われら​ごとき​の在家止住の身は、聖道諸宗の教に​およば​ねば、それ​を​わが​たのま​ず、信ぜ​ぬ​ばかり​なり。

 一 諸仏・菩薩と申す​こと​は、それ弥陀如来の分身なれば、十方諸仏のために​は本師本仏なる​がゆゑに、阿弥陀一仏に帰し​たてまつれ​ば、すなはち諸仏・菩薩に帰する​いはれ​ある​がゆゑに、阿弥陀一体の​うち​に諸仏・菩薩は​みな​ことごとく​こもれ​る​なり。

 一 開山親鸞聖人の​すすめ​まします​ところの弥陀如来の他力真実信心といふは、もろもろ​の雑行を​すて​て専修専念・一向一心に弥陀に帰命する​をもつて、本願を信楽する体と​す。されば先達より承り​つたへ​し​が​ごとく、弥陀如来の真実信心をば、いくたび​も他力より​さづけ​らるる​ところの仏智の不思議なり​と​こころえ​て、一念をもつて​は往生治定の時剋と定め​て、その​とき​の命のぶれ​ば自然と多念に​およぶ道理なり。

これ​によりて、平生の​とき一念往生治定の​うへ​の仏恩報尽の多念の称名とならふ​ところ​なり。しかれば、祖師聖人(親鸞)御相伝一流の肝要は、ただこの信心ひとつ​に​かぎれ​り。これ​を​しら​ざる​をもつて他門と​し、これ​を​しれ​る​をもつて真宗の​しるし​と​す。その​ほか​かならずしも外相において当流念仏者の​すがた​を他人に対し​て​あらはす​べから​ず。これ​をもつて真宗の信心を​え​たる行者の​ふるまひ​の正本と​なづく​べき​ところ件の​ごとし。

文明六年甲午正月十一日これ​を書く。

(4) 横截五悪趣章

 それ、弥陀如来の超世の本願と申す​は、末代濁世の造悪不善の​われら​ごときの凡夫の​ため​に​おこし​たまへ​る無上の誓願なる​がゆゑなり。

しかれば、これ​を​なにとやうに心をも​もち、なにとやうに弥陀を信じ​て、かの浄土へ​は往生す​べき​やらん、さらに​その分別なし。くはしく​これ​を​をしへ​たまふ​べし。

 答へ​て​いはく、末代今の時の衆生は、ただ一すぢ​に弥陀如来を​たのみ​たてまつり​て、余の仏・菩薩等をも​ならべ​て信ぜ​ね​ども、一心一向に弥陀一仏に帰命する衆生をば、いかに罪ふかく​とも仏の大慈大悲をもつて​すくは​ん​と誓ひ​たまひ​て、大光明を放ち​て、その光明の​うち​に摂め取り​まします​ゆゑに、この​こころ​を経(観経)には、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と説き​たまへ​り。

されば五道・六道といへる悪趣に​すでに​おもむく​べき​みち​を、弥陀如来の願力の不思議として​これ​を​ふさぎ​たまふ​なり。

この​いはれ​を​また経(大経・下)には、「横截五悪趣悪趣自然閉」と説か​れ​たり。

かるがゆゑに、如来の誓願を信じ​て一念の疑心なき​とき​は、いかに地獄へ​おち​ん​と​おもふ​とも、弥陀如来の摂取の光明に摂め取ら​れ​まゐらせ​たらん身は、わが​はからひ​にて地獄へ​も​おち​ず​して極楽に​まゐる​べき身なる​がゆゑなり。

かやう​の道理なる​とき​は、昼夜朝暮は、如来大悲の御恩を雨山に​かうぶり​たる​われら​なれば、ただ口に​つね​に称名を​となへ​て、かの仏恩を報謝の​ため​に念仏を申す​べき​ばかり​なり。

これ​すなはち真実信心を​え​たる​すがた​といへる​は​これ​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六、二月十五日の夜、大聖世尊(釈尊)入滅の昔を​おもひ​いで​て、灯の下において老眼を拭ひ筆を染め​をはり​ぬ。

満六十 御判

(5) 珠数章

 そもそも、この三四年の​あひだ​において、当山の念仏者の風情を​み​およぶ​に、まことに​もつて他力の安心決定せしめ​たる分なし。

そのゆゑは、珠数の一連をも​もつ​ひと​なし。さるほどに仏をば手づかみ​に​こそ​せ​られ​たり。聖人(親鸞)、まつたく「珠数を​すて​て仏を拝め」と仰せ​られ​たる​こと​なし。さりながら珠数を​もた​ず​とも、往生浄土のために​は​ただ他力の信心一つ​ばかり​なり。それ​には​さはり​ある​べから​ず。

まづ大坊主分たる人は、袈裟をも​かけ、珠数を​もち​ても子細なし。これ​によりて真実信心を獲得し​たる人は、かならず口にも出し、また色にも​その​すがた​は​みゆる​なり。しかれば、当時は​さらに真実信心をうつくしくえ​たる人、いたりて​まれなり​と​おぼゆる​なり。

それ​は​いかん​ぞ​なれば、弥陀如来の本願の​われら​が​ため​に相応し​たる​たふとさ​の​ほど​も、身には​おぼえ​ざる​がゆゑに、いつ​も信心の​ひととほり​をば、われ​こころえ顔の​よし​にて、なにごと​を聴聞する​にも、その​こと​と​ばかり​おもひ​て、耳へ​も​しかしかと​も​いら​ず、ただ人まね​ばかり​の体たらく​なり​と​みえ​たり。

この分にて​は、自身の往生極楽も​いま​は​いかが​と​あやふく​おぼゆる​なり。いはんや門徒・同朋を勧化の儀も、なかなか​これ​ある​べから​ず。かくのごとき​の心中にて​は今度の報土往生も不可なり。

あらあら勝事や。ただ​ふかく​こころ​を​しづめ​て思案ある​べし。まことに​もつて人間は出づる息は入る​を​また​ぬ​ならひ​なり。あひかまへて油断なく仏法を​こころ​に​いれ​て、信心決定す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六、二月十六日早朝に​にはかに筆を染め​をはり​ぬ​のみ。

(6) 掟章

 そもそも、当流の他力信心の​おもむき​を​よく聴聞して、決定せしむる​ひと​これ​あらば、その信心の​とほり​をもつて心底に​をさめ​おき​て、他宗・他人に対して沙汰す​べから​ず。また路次・大道われわれ​の在所なんど​にて​も、あらはに人をも​はばから​ず​これ​を讃嘆す​べから​ず。つぎ​には守護・地頭方に​むき​ても、われ​は信心を​え​たり​といひて疎略の儀なく、いよいよ公事を​まつたくす​べし。また諸神・諸仏・菩薩をも​おろそかに​す​べから​ず。これ​みな南無阿弥陀仏の六字の​うち​に​こもれ​る​がゆゑなり。ことに​ほか​には王法をもつて​おもて​と​し、内心には他力の信心を​ふかく​たくはへ​て、世間の仁義をもつて本と​す​べし。

これ​すなはち当流に定むる​ところの掟の​おもむき​なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年二月十七日これを書く。

(7) 易往無人章

 しづかに​おもんみれ​ば、それ人間界の生を受くる​こと​は、まことに五戒を​たもて​る功力に​より​て​なり。これ​おほきに​まれなる​こと​ぞかし。ただし人界の生は​わづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。

たとひ​また栄華に​ほこり栄耀に​あまる​といふとも、盛者必衰会者定離の​ならひ​なれば、ひさしく​たもつ​べき​に​あらず。ただ五十年百年の​あひだ​の​こと​なり。それ​も老少不定と​きく​とき​は、まことに​もつて​たのみ​すくなし。

これ​によりて、今の時の衆生は、他力の信心を​え​て浄土の往生を​とげ​ん​と​おもふ​べき​なり。

そもそも、その信心を​とら​んずる​には、さらに智慧も​いら​ず、才学も​いら​ず、富貴も貧窮も​いら​ず、善人も悪人も​いら​ず、男子も女人も​いら​ず、ただ​もろもろ​の雑行を​すて​て正行に帰する​をもつて本意と​す。

その正行に帰する​といふは、なにのやうも​なく弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつる理ばかり​なり。

かやうに信ずる衆生を​あまねく光明の​なか​に摂取して捨て​たまは​ず​して、一期の命尽き​ぬれ​ば​かならず浄土に​おくり​たまふ​なり。

この一念の安心一つ​にて浄土に往生する​こと​の、あら、やう​も​いら​ぬ​とりやす​の安心や。されば安心といふ二字をば、「やすき​こころ」と​よめ​る​は​この​こころ​なり。

さらに​なにの造作も​なく、一心一向に如来を​たのみ​まゐらする信心ひとつ​にて、極楽に往生す​べし。

あら、こころえやす​の安心や、また、あら、往きやす​の浄土や。

これによりて大経(下)には、「易往而無人」と​これ​を説か​れ​たり。

この文の​こころ​は、「安心を​とり​て弥陀を一向に​たのめ​ば、浄土へ​は​まゐりやすけれ​ども、信心を​とる​ひと​まれなれ​ば、浄土へ​は往きやすく​して人なし」といへる​は​この経文の​こころ​なり。

かくのごとく​こころうる​うへには、昼夜朝暮に​となふる​ところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じ​たてまつる​べき​ばかり​なり。

かへすがへす仏法に​こころ​を​とどめ​て、とりやすき信心の​おもむき​を存知して、かならず今度の一大事の報土の往生を​とぐ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年三月三日これ​を清書す。

(8) 本師本仏章

 それ、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、むなしく​みな十方三世の諸仏の悲願に​もれ​て、すてはて​られ​たる​われら​ごとき​の凡夫なり。しかれば、ここ​に弥陀如来と申す​は、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、いま​の​ごとき​の諸仏に​すて​られ​たる末代不善の凡夫、五障・三従の女人をば、弥陀に​かぎり​て​われ​ひとり​たすけ​ん​といふ超世の大願を​おこし​て、われら一切衆生を平等に​すくは​ん​と誓ひ​たまひ​て、無上の誓願を​おこし​て、すでに阿弥陀仏と​なり​ましまし​けり。

この如来を​ひとすぢに​たのみ​たてまつら​ずは、末代の凡夫、極楽に往生する​みち、ふたつ​も​みつ​も​ある​べから​ざる​ものなり。これ​によりて、親鸞聖人の​すすめ​まします​ところの他力の信心といふ​こと​を​よく存知せしめ​ん​ひと​は、かならず十人は十人ながら、みな​かの浄土に往生す​べし。されば​この信心を​とり​て​かの弥陀の報土に​まゐら​ん​と​おもふ​について、なにとやうに​こころ​をも​もち​て、なにとやうに​その信心と​やらん​を​こころう​べき​や。ねんごろに​これ​を​きか​ん​と​おもふ​なり。

 答へ​て​いはく、それ、当流親鸞聖人の​をしへ​たまへ​る​ところの他力信心の​おもむきといふは、なにのやうも​なく、わが身は​あさましき罪ふかき身ぞ​と​おもひ​て、弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、もろもろ​の雑行を​すて​て専修専念なれば、かならず遍照の光明の​なか​に摂め取ら​れ​まゐらする​なり。これ​まことに​われら​が往生の決定する​すがた​なり。

この​うへ​に​なほ​こころう​べき​やう​は、一心一向に弥陀に帰命する一念の信心に​より​て、はや往生治定の​うへには、行住坐臥に口に申さ​ん​ところの称名は、弥陀如来の​われら​が往生を​やすく定め​たまへ​る大悲の御恩を報尽の念仏なり​と​こころう​べき​なり。これ​すなはち当流の信心を決定し​たる人といふ​べき​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年三月中旬

(9) 忠臣貞女章

 そもそも、阿弥陀如来を​たのみ​たてまつる​について、自余の万善万行をば、すでに雑行と​なづけ​て​きらへ​る​その​こころ​は​いかん​ぞ​なれば、それ弥陀仏の誓ひ​まします​やう​は、一心一向に​われ​を​たのま​ん衆生をば、いかなる罪ふかき機なり​とも、すくひ​たまは​ん​といへる大願なり。

しかれば、一心一向といふは、阿弥陀仏において、二仏を​ならべ​ざる​こころ​なり。

この​ゆゑに人間において​も、まづ主をば​ひとり​ならでは​たのま​ぬ道理なり。されば外典の​ことば​に​いはく、「忠臣は二君に​つかへ​ず、貞女は二夫を​ならべ​ず」(史記・意)といへり。阿弥陀如来は三世諸仏のために​は本師師匠なれば、その師匠の仏を​たのま​ん​には、いかでか弟子の諸仏の​これ​を​よろこび​たまは​ざる​べき​や。この​いはれ​をもつて​よくよく​こころう​べし。

さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、その​ほか万善万行も、ことごとく​みな​こもれ​る​がゆゑに、なにの不足ありて​か、諸行諸善に​こころ​を​とどむ​べき​や。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよ​たのもしき​なり。

これ​によりて、その阿弥陀如来をば​なにと​たのみ、なにと信じ​て、かの極楽往生を​とぐ​べき​ぞ​なれば、なにのやうも​なく、ただ​わが身は極悪深重の​あさましき​もの​なれば、地獄ならでは​おもむく​べき​かた​も​なき身なる​を、かたじけなくも弥陀如来ひとり​たすけ​ん​といふ誓願を​おこし​たまへ​り​と​ふかく信じ​て、一念帰命の信心を​おこせ​ば、まことに宿善の開発に​もよほさ​れ​て、仏智より他力の信心を​あたへ​たまふ​がゆゑに、仏心と凡心と​ひとつ​に​なる​ところ​を​さし​て、信心獲得の行者と​は​いふ​なり。

この​うへには、ただ​ね​ても​おき​ても​へだてなく念仏を​となへ​て、大悲弘誓の御恩を​ふかく報謝す​べき​ばかり​なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六歳三月十七日これ​を書く。

(10) 仏心凡心一体章

 それ、当流親鸞聖人の​すすめ​まします​ところの一義の​こころ​といふは、まづ他力の信心をもつて肝要と​せ​られ​たり。この他力の信心といふ​こと​を​くはしく​しら​ずは、今度の一大事の往生極楽は​まことに​もつて​かなふ​べから​ず​と、経釈ともに​あきらかに​みえ​たり。されば​その他力の信心の​すがた​を存知して、真実報土の往生を​とげ​ん​と​おもふ​について​も、いかやうに​こころ​をも​もち、また​いかやうに機をも​もち​て、かの極楽の往生をば​とぐ​べき​やらん。その​むね​を​くはしく​しり​はんべら​ず。ねんごろに​をしへ​たまふ​べし。それ​を聴聞して​いよいよ堅固の信心を​とら​ん​と​おもふ​なり。

 答へ​て​いはく、そもそも当流の他力信心の​おもむき​と申す​は、あながちに​わが身の罪の​ふかき​にも​こころ​を​かけ​ず、ただ阿弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつりて、かかる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人まで​も、みな​たすけ​たまへ​る不思議の誓願力ぞ​と​ふかく信じ​て、さらに一念も本願を疑ふ​こころ​なけれ​ば、かたじけなく​も​その心を如来の​よく​しろしめし​て、すでに行者の​わろき​こころ​を如来の​よき御こころ​と​おなじ​もの​に​なし​たまふ​なり。

この​いはれ​をもつて仏心と凡心と一体に​なる​といへる​は​この​こころ​なり。これ​によりて、弥陀如来の遍照の光明の​なか​に摂め取ら​れ​まゐらせ​て、一期の​あひだ​は​この光明の​うち​に​すむ身なり​と​おもふ​べし。さて​いのち​も尽き​ぬれ​ば、すみやかに真実の報土へ​おくり​たまふ​なり。

しかれば、この​ありがたさ​たふとさ​の弥陀大悲の御恩をば、いかが​して報ず​べき​ぞ​なれば、昼夜朝暮には​ただ称名念仏ばかり​を​となへ​て、かの弥陀如来の御恩を報じ​たてまつる​べき​ものなり。この​こころ​すなはち、当流に​たつる​ところの一念発起平生業成といへる義これ​なり​と​こころう​べし。

されば​かやうに弥陀を一心に​たのみ​たてまつる​も、なにの功労も​いら​ず。また信心を​とる​といふ​も​やすけれ​ば、仏に成り極楽に往生する​こと​も​なほ​やすし。あら、たふと​の弥陀の本願や、あら、たふと​の他力の信心や。さらに往生において​その疑なし。

しかるに​この​うへ​において、なほ身の​ふるまひ​について​この​むね​を​よく​こころうべき​みち​あり。それ、一切の神も仏と申す​も、いま​この​うる​ところの他力の信心ひとつ​を​とら​しめ​んがため​の方便に、もろもろ​の神・もろもろ​の​ほとけ​と​あらはれ​たまふ​いはれ​なれば​なり。しかれば、一切の仏・菩薩も、もとより弥陀如来の分身なれば、みな​ことごとく、一念南無阿弥陀仏と帰命し​たてまつる​うち​に​みな​こもれ​る​がゆゑに、おろかに​おもふ​べから​ざる​ものなり。

また​この​ほか​に​なほ​こころう​べき​むね​あり。それ、国に​あらば守護方、ところ​に​あらば地頭方において、われ​は仏法を​あがめ信心を​え​たる身なり​と​いひ​て、疎略の儀ゆめゆめ​ある​べから​ず。いよいよ公事を​もつぱらに​す​べき​ものなり。かくのごとく​こころえ​たる人を​さし​て、信心発得して後生を​ねがふ念仏行者の​ふるまひ​の本と​ぞ​いふ​べし。

これ​すなはち仏法・王法を​むねと​まもれ​る人と​なづく​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年五月十三日これ​を書く。

(11) 五重義章

 それ、当流親鸞聖人の勧化の​おもむき、近年諸国において種々不同なり。これ​おほきにあさましき次第なり。

そのゆゑは、まづ当流には、他力の信心をもつて凡夫の往生を先と​せ​られ​たる​ところ​に、その信心の​かた​をば​おしのけ​て沙汰せず​して、その​すすむる​ことば​に​いはく、「十劫正覚の​はじめ​より​われら​が往生を弥陀如来の定め​ましまし​たまへ​る​こと​を​わすれ​ぬ​が​すなはち信心の​すがた​なり」といへり。これ​さらに、弥陀に帰命して他力の信心を​え​たる分は​なし。

されば​いかに十劫正覚の​はじめ​より​われら​が往生を定め​たまへ​る​こと​を​しり​たり​といふとも、われら​が往生す​べき他力の信心の​いはれ​を​よく​しら​ずは、極楽には往生す​べから​ざる​なり。

また​ある​ひと​の​ことば​に​いはく、「たとひ弥陀に帰命す​といふとも善知識なく​は​いたづらごと​なり、この​ゆゑに​われら​において​は善知識ばかり​を​たのむ​べし」と云々。

これ​も​うつくしく当流の信心を​え​ざる人なり​と​きこえ​たり。

そもそも、善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命し​たてまつる​べし​と、ひと​を​すすむ​べき​ばかり​なり。これ​によりて五重の義を​たて​たり。一つ​には宿善、二つ​には善知識、三つ​には光明、四つ​には信心、五つ​には名号。この五重の義、成就せずは往生は​かなふ​べから​ずと​みえ​たり。

されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよ​と​いへ​る​つかひ​なり。宿善開発して善知識に​あは​ずは、往生は​かなふ​べから​ざるなり。しかれども、帰する​ところの弥陀を​すて​て、ただ善知識ばかり​を本と​す​べき​こと、おほきなる​あやまり​なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年五月二十日

(12) 人間五十年章

 それ、人間の五十年を​かんがへみる​に、四王天といへる天の一日一夜に​あひ​あたれ​り。また​この四天王の五十年をもつて、等活地獄の一日一夜と​する​なり。

これ​によりて、みな​ひと​の地獄に​おち​て苦を受け​ん​こと​をば​なに​とも​おもは​ず、また浄土へ​まゐり​て無上の楽を受け​ん​こと​をも分別せず​して、いたづらに​あかし、むなしく月日を送り​て、さらに​わが身の一心をも決定する分も​しかしかと​も​なく、また一巻の聖教を​まなこ​に​あて​て​みる​こと​も​なく、一句の法門を​いひ​て門徒を勧化する義も​なし。ただ朝夕は、ひま​を​ねらひ​て、枕を​とも​と​して眠り臥せ​らん​こと、まことに​もつて​あさましき次第に​あらず​や。しづかに思案を​めぐらす​べき​ものなり。

この​ゆゑに今日今時より​して、不法懈怠に​あら​ん​ひとびと​は、いよいよ信心を決定して真実報土の往生を​とげ​ん​と​おもは​ん​ひと​こそ、まことに​その身の徳とも​なる​べし。これ​また自行化他の道理に​かなへ​り​と​おもふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

時に文明第六、六月中の二日、あまりの炎天の暑さ​に、これ​を筆に​まかせ​て書き​しるし​をはり​ぬ。

(13) 我宗名望章

 それ、当流に定むる​ところの掟を​よく守る​といふは、他宗にも世間にも対し​ては、わが一宗の​すがた​を​あらはに人の目に​みえ​ぬ​やう​に​ふるまへ​る​をもつて本意と​する​なり。

しかるに​ちかごろ​は当流念仏者の​なか​において、わざと人目に​みえ​て一流の​すがた​を​あらはし​て、これ​をもつて​わが宗の名望の​やう​に​おもひ​て、ことに他宗をこなし​おとしめ​ん​と​おもへ​り。これ言語道断の次第なり。さらに聖人(親鸞)の定め​ましまし​たる御意に​ふかく​あひ​そむけ​り。

そのゆゑは、「すでに牛を盗み​たる人と​は​いは​る​とも、当流の​すがた​を​みゆ​べから​ず」(改邪鈔・意)と​こそ仰せ​られ​たり。この御ことば​をもつて​よくよく​こころう​べし。

つぎ​に当流の安心の​おもむき​をくはしく​しら​ん​と​おもは​ん​ひとは、あながちに智慧・才学も​いら​ず、男女・貴賎も​いら​ず、ただ​わが身は罪ふかき​あさましき​もの​なり​と​おもひとり​て、かかる機まで​も​たすけ​たまへ​る​ほとけ​は阿弥陀如来ばかり​なり​と​しり​て、なにのやうも​なく、ひとすぢに​この阿弥陀ほとけ​の御袖にひしと​すがり​まゐらする​おもひ​を​なし​て、後生を​たすけ​たまへ​と​たのみ​まうせ​ば、この阿弥陀如来は​ふかく​よろこび​ましまし​て、その御身より八万四千の​おほきなる光明を放ち​て、その光明の​なか​に​その​ひと​を摂め入れ​て​おき​たまふ​べし。

されば​この​こころ​を経(観経)には、まさに「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と​は説か​れ​たり​と​こころう​べし。

さては​わが身の​ほとけ​に成ら​んずる​こと​は、なにの​わづらひ​も​なし。あら、殊勝の超世の本願や、ありがた​の弥陀如来の光明や。この光明の縁に​あひ​たてまつら​ずは、無始より​このかた​の無明業障の​おそろしき病の​なほる​といふ​こと​は、さらに​もつて​ある​べから​ざる​ものなり。

しかるに​この光明の縁に​もよほさ​れ​て、宿善の機ありて、他力の信心といふ​こと​をば​いま​すでに​え​たり。これしかしながら、弥陀如来の御方より​さづけ​ましまし​たる信心と​は​やがて​あらはに​しら​れ​たり。

かるがゆゑに、行者の​おこす​ところの信心に​あらず、弥陀如来他力の大信心といふ​ことは、いま​こそ​あきらかに​しら​れ​たり。

これ​によりて、かたじけなく​も​ひとたび他力の信心を​え​たらん人は、みな弥陀如来の御恩の​ありがたき​ほど​を​よくよく​おもひはかり​て、仏恩報謝のために​は​つね​に称名念仏を申し​たてまつる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年七月三日これ​を書く。

(14) 秘事法門章

 それ、越前国に​ひろまる​ところの秘事法門といへる​こと​は、さらに仏法にて​は​なし、あさましき外道の法なり。これ​を信ずる​もの​は​ながく無間地獄に沈む​べき業にて、いたづらごと​なり。この秘事を​なほ​も執心して肝要と​おもひ​て、ひと​を​へつらひ​たらさ​ん​もの​には、あひかまへて​あひかまへて随逐す​べから​ず。いそぎ​その秘事を​いは​ん人の手を​はなれ​て、はやく​さづくる​ところの秘事を​ありのまま​に懴悔して、ひと​に​かたり​あらはす​べき​ものなり。

そもそも、当流勧化の​おもむき​を​くはしく​しり​て、極楽に往生せん​と​おもは​ん​ひと​は、まづ他力の信心といふ​こと​を存知す​べき​なり。それ、他力の信心といふは​なにの要ぞ​といへ​ば、かかる​あさましきわれら​ごとき​の凡夫の身が、たやすく浄土へ​まゐるべき用意なり。その他力の信心の​すがた​といふは​いかなる​こと​ぞ​といへ​ば、なにのやうも​なく、ただ​ひとすぢに阿弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、たすけ​たまへ​と​おもふ​こころ​の一念おこる​とき、かならず弥陀如来の摂取の光明を放ち​て、その身の娑婆に​あら​ん​ほど​は、この光明の​なか​に​をさめ​おき​まします​なり。これ​すなはち​われら​が往生の定まり​たる​すがた​なり。

されば南無阿弥陀仏と申す体は、われら​が他力の信心を​え​たる​すがた​なり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏の​いはれ​を​あらはせ​る​すがた​なり​と​こころう​べき​なり。されば​われら​が​いま​の他力の信心ひとつ​を​とる​に​より​て、極楽に​やすく往生す​べき​こと​の、さらに​なにの疑も​なし。あら、殊勝の弥陀如来の他力の本願や。

この​ありがたさ​の弥陀の御恩をば、いかが​して報じ​たてまつる​べき​ぞ​なれば、ただ​ね​ても​おき​ても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と​となへ​て、かの弥陀如来の仏恩を報ず​べき​なり。されば南無阿弥陀仏と​となふる​こころ​は​いかん​ぞ​なれば、阿弥陀如来の御たすけ​あり​つる​こと​の​ありがたさ​たふとさ​よ​と​おもひ​て、それ​を​よろこび​まうす​こころ​なり​と​おもふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年七月五日

(15) 九品長楽寺章

 そもそも、日本において浄土宗の家々を​たて​て、西山・鎮西・九品・長楽寺とて、その​ほか​あまた​に​わかれ​たり。これ​すなはち法然聖人の​すすめ​たまふ​ところの義は一途なり​と​いへども、あるいは聖道門にて​あり​し人々の、聖人(源空)へ​まゐり​て浄土の法門を聴聞し​たまふ​に、うつくしく​その理耳に​とどまら​ざる​に​より​て、わが本宗の​こころ​を​いまだ​すてやら​ず​して、かへりて​それ​を浄土宗に​ひきいれ​ん​と​せし​に​より​て、その不同これ​あり。

しかり​と​いへども、あながちに​これ​を誹謗する​こと​ある​べから​ず。肝要は、ただ​わが一宗の安心を​よく​たくはへ​て、自身も決定し人をも勧化す​べき​ばかり​なり。

それ、当流の安心の​すがた​は​いかん​ぞ​なれば、まづ​わが身は十悪・五逆、五障・三従の​いたづらもの​なり​と​ふかく​おもひつめ​て、その​うへ​に​おもふ​べき​やう​は、かかる​あさましき機を本と​たすけ​たまへ​る弥陀如来の不思議の本願力なり​と​ふかく信じ​たてまつり​て、すこし​も疑心なけれ​ば、かならず弥陀は摂取し​たまふ​べし。

この​こころ​こそ、すなはち他力真実の信心を​え​たる​すがた​と​は​いふ​べき​なり。かくのごとき​の信心を、一念とら​んずる​こと​は​さらに​なにのやうも​いら​ず。あら、こころえやす​の他力の信心や、あら、行じやす​の名号や。

しかれば、この信心を​とる​といふ​も別の​こと​には​あらず、南無阿弥陀仏の六つ​の字を​こころえわけ​たる​が、すなはち他力信心の体なり。

また南無阿弥陀仏といふは​いかなる​こころ​ぞ​といへ​ば、「南無」といふ二字は、すなはち極楽へ往生せん​と​ねがひ​て弥陀を​ふかく​たのみ​たてまつる​こころ​なり。さて「阿弥陀仏」といふは、かくのごとく​たのみ​たてまつる衆生を​あはれみ​ましまし​て、無始曠劫より​このかた​の​おそろしき罪とが​の身なれども、弥陀如来の光明の縁に​あふ​に​より​て、ことごとく無明業障の​ふかき罪とが​たちまちに消滅する​に​より​て、すでに正定聚の数に住す。かるがゆゑに凡身を​すて​て仏身を証する​といへる​こころ​を、すなはち阿弥陀如来と​は申す​なり。

されば「阿弥陀」といふ三字をば、をさめ・たすけ・すくふ​と​よめ​る​いはれ​ある​がゆゑなり。

かやうに信心決定して​の​うへには、ただ弥陀如来の仏恩の​かたじけなき​こと​を​つね​に​おもひ​て称名念仏を申さ​ば、それ​こそ​まことに弥陀如来の仏恩を報じ​たてまつる​ことわり​に​かなふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六、七月九日これ​を書く。

釈証如(花押)

○ 三 帖

(1) 其名ばかり章

 そもそも、当流において、その名ばかり​を​かけ​ん​ともがら​も、また​もとより門徒たらん人も、安心の​とほり​を​よく​こころえ​ずは、あひかまへて、今日より​して、他力の大信心の​おもむき​を​ねんごろに人に​あひ​たづね​て、報土往生を決定せしむ​べき​なり。

それ、一流の安心を​とる​といふ​も、なにのやうも​なく、ただ一すぢに阿弥陀如来を​ふかく​たのみ​たてまつる​ばかり​なり。

しかれども、この阿弥陀仏と申す​は、いかやうなる​ほとけ​ぞ、また​いかやうなる機の衆生を​すくひ​たまふ​ぞ​といふ​に、三世の諸仏に​すて​られ​たる​あさましき​われら凡夫女人を、われ​ひとり​すくは​ん​といふ大願を​おこし​たまひ​て、五劫が​あひだ​これ​を思惟し、永劫が​あひだ​これ​を修行して、それ衆生の罪において​は、いかなる十悪・五逆、謗法・闡提の​ともがら​なり​といふとも、すくは​ん​と誓ひ​ましまし​て、すでに諸仏の悲願に​こえ​すぐれ​たまひ​て、その願成就して阿弥陀如来と​は​なら​せたまへ​る​を、すなはち阿弥陀仏と​は申す​なり。

これ​によりて、この仏をば​なにと​たのみ、なに​と​こころ​をも​もち​て​か​たすけ​たまふ​べき​ぞ​といふ​に、それ​わが身の罪の​ふかき​こと​をば​うちおき​て、ただ​かの阿弥陀仏を​ふたごころなく一向に​たのみ​まゐらせ​て、一念も疑ふ心なく​は、かならず​たすけ​たまふ​べし。しかるに弥陀如来には、すでに摂取と光明といふ二つ​の​ことわり​をもつて、衆生をば済度し​たまふ​なり。まづ​この光明に宿善の機の​ありて照らさ​れ​ぬれ​ば、つもる​ところの業障の罪みな消え​ぬる​なり。

さて摂取といふは​いかなる​こころ​ぞ​といへ​ば、この光明の縁に​あひ​たてまつれ​ば、罪障ことごとく消滅する​によりて、やがて衆生を​この光明の​うち​に摂め​おか​るる​によりて、摂取と​は申す​なり。この​ゆゑに、阿弥陀仏には摂取と光明と​の二つ​をもつて肝要と​せ​らるる​なり​と​きこえ​たり。されば一念帰命の信心の定まる​といふ​も、この摂取の光明に​あひ​たてまつる時剋を​さし​て、信心の定まる​と​は申す​なり。

しかれば、南無阿弥陀仏といへる行体は、すなはち​われら​が浄土に往生す​べき​ことわり​を、この六字に​あらはし​たまへ​る御すがた​なり​と、いま​こそ​よく​は​しら​れ​て、いよいよ​ありがたく​たふとく​おぼえ​はんべれ。

さて​この信心決定の​うへには、ただ阿弥陀如来の御恩を雨山にかうぶり​たる​こと​を​のみ​よろこび​おもひ​たてまつりて、その報謝のために​は、ね​ても​さめ​ても念仏を申す​べき​ばかり​なり。それ​こそ​まことに仏恩報尽の​つとめ​なる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六、七月十四日これ​を書く。

(2) 如説修行章

 それ、諸宗の​こころ​まちまちに​して、いづれ​も釈迦一代の説教なれば、まことに​これ殊勝の法なり。もつとも如説に​これ​を修行せん​ひと​は、成仏得道す​べき​こと、さらに疑なし。しかるに末代このごろ​の衆生は、機根最劣にして如説に修行せん人まれなる時節なり。

ここ​に弥陀如来の他力本願といふは、今の世において、かかる時の衆生を​むねと​たすけ​すくは​んがために、五劫が​あひだ​これ​を思惟し、永劫が​あひだ​これ​を修行して、「造悪不善の衆生を​ほとけ​に​なさ​ずは、われ​も正覚成ら​じ」と、ちかごと​を​たて​ましまし​て、その願すでに成就して阿弥陀と​なら​せたまへ​る​ほとけ​なり。末代今の時の衆生において​は、この​ほとけ​の本願に​すがり​て弥陀を​ふかく​たのみ​たてまつら​ずんば、成仏する​といふ​こと​ある​べから​ざる​なり。

 そもそも、阿弥陀如来の他力本願をば​なにとやうに信じ、また​なにとやうに機を​もち​て​か​たすかる​べき​ぞ​なれば、それ弥陀を信じ​たてまつる​といふは、なにのやうも​なく、他力の信心といふ​いはれ​を​よく​しり​たらん​ひと​は、たとへば十人は十人ながら、みな​もつて極楽に往生す​べし。

さて​その他力の信心といふは​いかやうなる​ことぞ​といへ​ば、ただ南無阿弥陀仏なり。この南無阿弥陀仏の六つの字の​こころ​を​くはしく​しり​たる​が、すなはち他力信心の​すがた​なり。されば、南無阿弥陀仏といふ六字の体を​よくよく​こころう​べし。

まづ「南無」といふ二字は​いかなる​こころ​ぞ​といへ​ば、やう​も​なく弥陀を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、後生たすけ​たまへ​と​ふたごころなく信じ​まゐらする​こころ​を、すなはち南無と​は申す​なり。

つぎ​に「阿弥陀仏」といふ四字は​いかなる​こころ​ぞ​といへ​ば、いま​の​ごとくに弥陀を一心に​たのみ​まゐらせ​て、疑の​こころ​の​なき衆生をば、かならず弥陀の御身より光明を放ち​て照らし​ましまし​て、その​ひかり​の​うち​に摂め​おき​たまひ​て、さて一期の​いのち尽き​ぬれ​ば、かの極楽浄土へ​おくり​たまへ​る​こころ​を、すなはち阿弥陀仏と​は申し​たてまつる​なり。

されば世間に沙汰する​ところの念仏といふは、ただ口に​だに​も南無阿弥陀仏と​となふれ​ば、たすかる​やう​に​みな人の​おもへ​り。それ​はおぼつかなき​こと​なり。

さりながら、浄土一家において​さやうに沙汰する​かた​も​あり、是非す​べから​ず。これ​は​わが一宗の開山(親鸞)の​すすめ​たまへ​る​ところの一流の安心の​とほり​を申す​ばかり​なり。宿縁の​あら​ん​ひと​は、これ​を​きき​て​すみやかに今度の極楽往生を​とぐ​べし。

かくのごとく​こころえ​たらん​ひと、名号を​となへ​て、弥陀如来の​われら​を​やすく​たすけ​たまへ​る御恩を雨山に​かうぶり​たる、その仏恩報尽のために​は、称名念仏す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年八月五日これ​を書く。

(3) 性光門徒章

 この方河尻性光門徒の面々において、仏法の信心の​こころえ​は​いかやうなる​らん。まことに​もつてこころもとなし。しかり​と​いへども、いま当流一義の​こころ​を​くはしく沙汰す​べし。おのおの耳を​そばだて​て​これ​を​きき​て、この​おもむき​をもつて本と​おもひ​て、今度の極楽の往生を治定す​べき​ものなり。

それ、弥陀如来の念仏往生の本願(第十八願)と申す​は、いかやうなる​こと​ぞ​といふ​に、在家無智の​もの​も、また十悪・五逆の​やから​に​いたる​まで​も、なにのやうも​なく他力の信心といふ​こと​を​ひとつ決定すれば、みな​ことごとく極楽に往生する​なり。

されば​その信心を​とる​といふは、いかやうなる​むつかしき​こと​ぞ​といふ​に、なにの​わづらひ​も​なく、ただ​ひとすぢに阿弥陀如来を​ふたごころなく​たのみ​たてまつり​て、余へ​こころ​を散らさ​ざらんひと​は、たとへば十人あらば十人ながら、みな​ほとけ​に成る​べし。この​こころ​ひとつ​を​たもた​ん​は​やすき​こと​なり。

ただ声に出し​て念仏ばかり​を​となふる​ひと​はおほやうなり、それ​は極楽には往生せず。この念仏の​いはれ​を​よく​しり​たる人こそ​ほとけ​には成る​べけれ。なにのやうも​なく、弥陀を​よく信ずる​こころ​だに​も​ひとつ​に定まれ​ば、やすく浄土へ​は​まゐる​べき​なり。

この​ほか​には、わづらはしき秘事といひ​て、ほとけ​をも拝ま​ぬもの​は​いたづらもの​なり​と​おもふ​べし。

これ​によりて、阿弥陀如来の他力本願と申す​は、すでに末代今の時の罪ふかき機を本として​すくひ​たまふ​がゆゑに、在家止住の​われら​ごとき​のために​は相応し​たる他力の本願なり。あら、ありがた​の弥陀如来の誓願や、あら、ありがた​の釈迦如来の金言や。仰ぐ​べし、信ず​べし。

しかれば、いふ​ところの​ごとく​こころえ​たらん人々は、これ​まことに当流の信心を決定し​たる念仏行者の​すがた​なる​べし。

さて​この​うへには一期の​あひだ申す念仏の​こころ​は、弥陀如来の​われらを​やすく​たすけ​たまへ​る​ところの雨山の御恩を報じ​たてまつら​んがため​の念仏なり​と​おもふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年八月六日これ​を書く。

(4) 大聖世尊章

 それ、つらつら人間のあだなる体を案ずる​に、生ある​もの​は​かならず死に帰し、盛んなる​もの​は​つひに衰ふる​ならひ​なり。されば​ただ​いたづらに​あかし、いたづらに​くらして、年月を送る​ばかり​なり。これ​まことに​なげき​ても​なほ​かなしむ​べし。

この​ゆゑに、上は大聖世尊(釈尊)より​はじめ​て、下は悪逆の提婆に​いたる​まで、のがれがたき​は無常なり。

しかれば、まれに​も受けがたき​は人身、あひ​がたき​は仏法なり。たまたま仏法に​あふ​こと​を得たり​といふとも、自力修行の門は、末代なれば、今の時は出離生死の​みち​は​かなひがたき​あひだ、弥陀如来の本願に​あひ​たてまつら​ずは​いたづらごと​なり。

しかるに​いま​すでに​われら弘願の一法に​あふ​こと​を得たり。この​ゆゑに、ただ​ねがふ​べき​は極楽浄土、ただ​たのむ​べき​は弥陀如来、これ​によりて信心決定して念仏申す​べき​なり。

しかれば、世の​なか​に​ひと​の​あまねく​こころえおき​たる​とほり​は、ただ声に出し​て南無阿弥陀仏と​ばかり​となふれ​ば、極楽に往生す​べき​やう​に​おもひ​はんべり。それ​は​おほきに​おぼつかなき​こと​なり。

されば南無阿弥陀仏と申す六字の体は​いかなる​こころ​ぞ​といふ​に、阿弥陀如来を一向に​たのめ​ば、ほとけ​その衆生を​よく​しろしめし​て、すくひたまへ​る御すがた​を、この南無阿弥陀仏の六字に​あらはし​たまふ​なり​と​おもふ​べき​なり。

しかれば、この阿弥陀如来をば​いかが​して信じ​まゐらせ​て、後生の一大事をば​たすかる​べき​ぞ​なれば、なにの​わづらひ​も​なく、もろもろ​の雑行雑善を​なげすて​て、一心一向に弥陀如来を​たのみ​まゐらせ​て、ふたごころなく信じ​たてまつれ​ば、その​たのむ衆生を光明を放ち​て​その​ひかり​の​なか​に摂め入れ​おき​たまふ​なり。

これをすなはち弥陀如来の摂取の光益に​あづかる​と​は申す​なり。また​は不捨の誓益とも​これ​を​なづくる​なり。

かくのごとく阿弥陀如来の光明の​うち​に摂め​おか​れ​まゐらせ​て​の​うへには、一期の​いのち尽き​なば​ただちに真実の報土に往生す​べき​こと、その疑ある​べから​ず。

この​ほか​には別の仏をも​たのみ、また余の功徳善根を修し​ても​なに​にか​は​せん。あら、たふと​や、あら、ありがた​の阿弥陀如来や。かやう​の雨山の御恩をば​いかが​して報じ​たてまつる​べき​ぞや。

ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声に​となへ​て、その恩徳を​ふかく報尽申す​ばかり​なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年八月十八日

(5) 諸仏悲願章

 そもそも、諸仏の悲願に弥陀の本願の​すぐれ​ましまし​たる、その​いはれ​を​くはしく​たづぬる​に、すでに十方の諸仏と申す​は、いたりて罪ふかき衆生と、五障・三従の女人をば​たすけ​たまは​ざる​なり。この​ゆゑに諸仏の願に阿弥陀仏の本願は​すぐれ​たり​と申す​なり。

さて弥陀如来の超世の大願は​いかなる機の衆生を​すくひ​まします​ぞ​と申せ​ば、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人に​いたる​まで​も、みな​ことごとく​もらさ​ず​たすけ​たまへ​る大願なり。されば一心一向に​われ​を​たのま​ん衆生をば、かならず十人あらば十人ながら、極楽へ引接せん​と​のたまへ​る他力の大誓願力なり。

これ​によりて、かの阿弥陀仏の本願をば、われら​ごとき​の​あさましき凡夫は、なにとやうに​たのみ、なにとやうに機を​もち​て、かの弥陀をば​たのみ​まゐらす​べき​ぞや。その​いはれ​を​くはしく​しめし​たまふ​べし。その​をしへ​の​ごとく信心を​とり​て、弥陀をも信じ、極楽をもねがひ、念仏をも申す​べき​なり。

 答へ​て​いはく、まづ世間に​いま流布して​むねと​すすむる​ところの念仏と申す​は、ただなにの分別も​なく南無阿弥陀仏と​ばかり​となふれ​ば、みな​たすかる​べき​やう​に​おもへ​り。それ​は​おほきに​おぼつかなき​こと​なり。京・田舎の​あひだ​において、浄土宗の流義まちまちに​わかれ​たり。しかれども、それ​を是非する​には​あらず、ただ​わが開山(親鸞)の一流相伝の​おもむき​を申し​ひらく​べし。

それ、解脱の耳を​すまし​て渇仰の​かうべ​を​うなだれ​て​これ​を​ねんごろに​きき​て、信心歓喜の​おもひ​を​なす​べし。それ、在家止住の​やから一生造悪の​もの​も、ただ​わが身の罪の​ふかき​には目を​かけ​ず​して、それ弥陀如来の本願と申す​は​かかる​あさましき機を本と​すくひ​まします不思議の願力ぞ​と​ふかく信じ​て、弥陀を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、他力の信心といふ​こと​を一つ​こころう​べし。

さて他力の信心といふ体は​いかなる​こころ​ぞ​といふ​に、この南無阿弥陀仏の六字の名号の体は、阿弥陀仏の​われら​を​たすけ​たまへ​る​いはれ​を、この南無阿弥陀仏の名号に​あらはし​ましまし​たる御すがた​ぞ​と​くはしく​こころえわけ​たる​をもつて、他力の信心を​え​たる人と​は​いふ​なり。

この「南無」といふ二字は、衆生の阿弥陀仏を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、たすけ​たまへ​と​おもひ​て、余念なき​こころ​を帰命と​は​いふ​なり。

つぎ​に「阿弥陀仏」といふ四つ​の字は、南無と​たのむ衆生を、阿弥陀仏の​もらさ​ず​すくひ​たまふ​こころ​なり。この​こころ​を​すなはち摂取不捨と​は申す​なり。

「摂取不捨」といふは、念仏の行者を弥陀如来の光明の​なか​に​をさめとり​て​すて​たまは​ず​といへるこころ​なり。

されば​この南無阿弥陀仏の体は、われら​を阿弥陀仏の​たすけ​たまへ​る支証の​ため​に、御名を​この南無阿弥陀仏の六字に​あらはし​たまへ​る​なり​と​きこえ​たり。かくのごとく​こころえわけ​ぬれ​ば、われら​が極楽の往生は治定なり。

あら、ありがた​や、たふと​や​と​おもひ​て、この​うへには、はや​ひとたび弥陀如来に​たすけ​られ​まゐらせ​つる​のち​なれば、御たすけ​あり​つる御うれしさ​の念仏なれば、この念仏をば仏恩報謝の称名とも​いひ、また信の​うへ​の称名とも申し​はんべる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年九月六日これ​を書く。

(6) 唯能常称章

 それ、南無阿弥陀仏と申す​は​いかなる​こころ​ぞ​なれば、まづ「南無」といふ二字は、帰命と発願回向と​の​ふたつ​の​こころ​なり。また「南無」といふは願なり、「阿弥陀仏」といふは行なり。

されば雑行雑善を​なげすて​て専修専念に弥陀如来を​たのみ​たてまつり​て、たすけ​たまへ​と​おもふ帰命の一念おこる​とき、かたじけなく​も遍照の光明を放ち​て行者を摂取し​たまふ​なり。この​こころ​すなはち阿弥陀仏の四つ​の字の​こころ​なり。また発願回向の​こころ​なり。

これ​によりて、「南無阿弥陀仏」といふ六字は、ひとへに​われら​が往生す​べき他力信心の​いはれ​を​あらはし​たまへ​る御名なり​と​みえ​たり。

この​ゆゑに、願成就の文(大経・下)には、「聞其名号信心歓喜」と説か​れ​たり。この文の​こころ​は、「その名号を​きき​て信心歓喜す」といへり。

「その名号を​きく」といふは、ただ​おほやうに​きく​に​あらず。善知識に​あひ​て、南無阿弥陀仏の六つ​の字の​いはれ​を​よく​ききひらき​ぬれ​ば、報土に往生す​べき他力信心の道理なり​と​こころえ​られ​たり。かるがゆゑに、「信心歓喜」といふは、すなはち信心定まり​ぬれ​ば、浄土の往生は疑なく​おもう​て​よろこぶ​こころ​なり。

この​ゆゑに弥陀如来の五劫兆載永劫の御苦労を案ずる​にも、われら​を​やすく​たすけ​たまふ​こと​の​ありがたさ、たふとさ​を​おもへ​ば​なかなか申す​も​おろかなり。

されば和讃(正像末和讃)に​いはく、「南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せ​り」といへる​は​この​こころ​なり。

また「正信偈」には​すでに「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」と​あれば、いよいよ行住坐臥時処諸縁を​きらは​ず、仏恩報尽の​ため​に​ただ称名念仏す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明六年十月二十日これ​を書く。

(7) 彼此三業章

 そもそも、親鸞聖人の​すすめ​たまふ​ところの一義の​こころ​は、ひとへに​これ末代濁世の在家無智の​ともがら​において、なにの​わづらひ​も​なく、すみやかに疾く浄土に往生す​べき他力信心の一途ばかり​をもつて本と​をしへ​たまへ​り。しかれば、それ阿弥陀如来は、すでに十悪・五逆の愚人、五障・三従の女人に​いたる​まで、ことごとく​すくひ​まします​といへる​こと​をば、いかなる人も​よく​しり​はんべり​ぬ。

しかるに​いま​われら凡夫は、阿弥陀仏をば​いかやうに信じ、なにとやうに​たのみ​まゐらせ​て、かの極楽世界へ​は往生す​べき​ぞ​といふ​に、ただ​ひとすぢに弥陀如来を信じ​たてまつり​て、その余は​なにごと​も​うちすてて、一向に弥陀に帰し、一心に本願を信じ​て、阿弥陀如来において​ふたごころなく​は、かならず極楽に往生す​べし。この道理をもつて、すなはち他力信心を​え​たる​すがた​と​は​いふ​なり。

そもそも、信心といふは、阿弥陀仏の本願の​いはれ​を​よく分別して、一心に弥陀に帰命する​かた​をもつて、他力の安心を決定す​と​は申す​なり。されば南無阿弥陀仏の六字の​いはれ​を​よく​こころえわけ​たる​をもつて、信心決定の体と​す。

しかれば、「南無」の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。つぎ​に「阿弥陀仏」といふ四つ​の字の​いはれ​は、弥陀如来の衆生をたすけ​たまへ​る法なり。この​ゆゑに、機法一体の南無阿弥陀仏といへる​は​この​こころ​なり。

これ​によりて、衆生の三業と弥陀の三業と一体に​なる​ところ​を​さし​て、善導和尚は「彼此三業不相捨離」(定善義)と釈し​たまへ​る​も、この​こころ​なり。

されば一念帰命の信心決定せしめ​たらん人は、かならず​みな報土に往生す​べき​こと、さらに​もつて​その疑ある​べから​ず。あひかまへて自力執心のわろき機の​かた​をば​ふりすて​て、ただ不思議の願力ぞ​と​ふかく信じ​て、弥陀を一心に​たのま​ん​ひと​は、たとへば十人は十人ながら、みな真実報土の往生を​とぐ​べし。

この​うへには、ひたすら弥陀如来の御恩の​ふかき​こと​を​のみ​おもひ​たてまつり​て、つね​に報謝の念仏を申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明七年二月二十三日

(8) 当国他国十劫邪義章

 そもそも、このごろ当国他国の​あひだ​において、当流安心の​おもむき、ことのほか相違し​て、みな人ごとに​われ​は​よく心得たり​と思ひ​て、さらに法義に​そむく​とほり​をも​あながちに人に​あひ​たづね​て、真実の信心を​とら​ん​と​おもふ人すくなし。これ​まことに​あさましき執心なり。

すみやかに​この心を改悔懴悔して、当流真実の信心に住し​て、今度の報土往生を決定せず​は、まことに宝の山に入り​て、手を​むなしく​して​かへら​ん​に​ことなら​ん​ものか。

この​ゆゑに​その信心の相違し​たる詞に​いはく、「それ、弥陀如来は​すでに十劫正覚の​はじめ​より​われら​が往生を定め​たまへ​る​こと​を、いまに​わすれ​ず疑は​ざる​が​すなはち信心なり」と​ばかり​こころえ​て、弥陀に帰し​て信心決定せしめ​たる分なく​は、報土往生す​べから​ず。さればそばさま​なる​わろき​こころえ​なり。

これ​によりて、当流安心の​その​すがた​を​あらはさ​ば、すなはち南無阿弥陀仏の体をよく​こころうる​をもつて、他力信心を​え​たる​と​は​いふ​なり。

されば「南無阿弥陀仏」の六字を善導釈し​て​いはく、「南無といふは帰命、また​これ発願回向の義なり」(玄義分)といへり。その意いかん​ぞ​なれば、阿弥陀如来の因中において、われら凡夫の往生の行を定め​たまふ​とき、凡夫の​なす​ところの回向は自力なる​がゆゑに成就しがたき​に​より​て、阿弥陀如来の凡夫の​ため​に御身労ありて、この回向を​われら​に​あたへ​んがために回向成就し​たまひ​て、一念南無と帰命する​ところ​にて、この回向を​われら凡夫に​あたへ​ましますなり。

かるがゆゑに、凡夫の方より​なさ​ぬ回向なる​がゆゑに、これ​をもつて如来の回向をば行者の​かた​より​は不回向と​は申す​なり。

この​いはれ​ある​がゆゑに、「南無」の二字は帰命の​こころ​なり、また発願回向の​こころ​なり。この​いはれ​なる​がゆゑに、南無と帰命する衆生を​かならず摂取し​て捨て​たまは​ざる​がゆゑに、南無阿弥陀仏と​は申す​なり。これ​すなはち一念帰命の他力信心を獲得する平生業成の念仏行者といへる​は​この​こと​なり​と​しる​べし。

かくのごとく​こころえ​たらん人々は、いよいよ弥陀如来の御恩徳の深遠なる​こと​を信知し​て、行住坐臥に称名念仏す​べし。これ​すなはち「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)といへる文の​こころ​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明七、二月二十五日

(9) 御命日章

 そもそも、今日は鸞聖人(親鸞)の御命日として、かならず報恩謝徳の​こころざし​を​はこば​ざる人、これ​すくなし。しかれども、かの諸人の​うへ​において、あひ​こころう​べき​おもむき​は、もし本願他力の真実信心を獲得せ​ざらん未安心の​ともがら​は、今日にかぎり​て​あながちに出仕を​いたし、この講中の座敷を​ふさぐ​をもつて真宗の肝要と​ばかり​おもは​ん人は、いかでか​わが聖人の御意には​あひ​かなひがたし。

しかり​と​いへども、わが在所に​ありて報謝の​いとなみ​をも​はこば​ざらん​ひと​は、不請にも出仕を​いたし​ても​よろしかる​べき​か。されば毎月二十八日ごと​に​かならず出仕を​いたさ​ん​と​おもは​ん​ともがら​においては、あひかまへて、日ごろ​の信心の​とほり決定せ​ざらん未安心の​ひと​も、すみやかに本願真実の他力信心を​とり​て、わが身の今度の報土往生を決定せしめ​ん​こそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志に​あひ​かなふ​べけれ。

また自身の極楽往生の一途も治定し​をはり​ぬ​べき道理なり。これ​すなはち​まことに「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讃)といふ釈文の​こころ​にも符合せ​る​ものなり。

それ、聖人御入滅は​すでに一百余歳を経と​いへども、かたじけなく​も目前において真影を拝し​たてまつる。また徳音は​はるかに無常の風に​へだつ​と​いへども、まのあたり実語を相承血脈して​あきらかに耳の底に​のこし​て、一流の他力真実の信心いまに​たえ​せ​ざる​ものなり。

これ​によりて、いま​この時節に​いたり​て、本願真実の信心を獲得せしむる人なく​は、まことに宿善の​もよほし​に​あづから​ぬ身と​おもふ​べし。もし宿善開発の機にてもわれら​なく​は、むなしく今度の往生は不定なる​べき​こと、なげき​ても​なほ​かなしむ​べき​は​ただ​この一事なり。しかるに​いま本願の一道に​あひ​がたく​して、まれに無上の本願に​あふ​こと​を得たり。まことに​よろこび​の​なか​の​よろこび、なにごと​か​これ​に​しか​ん。たふとむ​べし、信ず​べし。

これ​によりて、年月日ごろ​わが​こころ​のわろき迷心を​ひるがへし​て、たちまちに本願一実の他力信心に​もとづか​ん​ひと​は、真実に聖人の御意に​あひ​かなふ​べし。これ​しかしながら、今日聖人の報恩謝徳の御こころざし​にも​あひ​そなはりつ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明七年五月二十八日これ​を書く。

(10) 神明六ヶ条章

 そもそも、当流門徒中において、この六箇条の篇目の​むね​を​よく存知して、仏法を内心に​ふかく信じ​て、外相に​その​いろ​を​みせ​ぬ​やう​に​ふるまふ​べし。しかれば、このごろ当流念仏者において、わざと一流の​すがた​を他宗に対し​て​これ​を​あらはす​こと、もつてのほか​の​あやまり​なり。所詮向後この題目の次第を​まもり​て、仏法をば修行すべし。もし​この​むね​を​そむか​ん​ともがら​は、ながく門徒中の一列たる​べから​ざる​ものなり。

 一 神社を​かろしむる​こと​ある​べから​ず。
 一 諸仏・菩薩ならびに諸堂を​かろしむ​べから​ず。
 一 諸宗・諸法を誹謗す​べから​ず。
 一 守護・地頭を疎略に​す​べから​ず。
 一 国の仏法の次第、非義たる​あひだ、正義に​おもむく​べき事。
 一 当流に​たつる​ところの他力信心をば内心に​ふかく決定す​べし。

 一つ​には、一切の神明と申す​は、本地は仏・菩薩の変化にて​ましませ​ども、この界の衆生を​みる​に、仏・菩薩には​すこし​ちかづきにくく​おもふ​あひだ、神明の方便に、仮に神と​あらはれ​て、衆生に縁を結び​て、その​ちから​をもつて​たより​として、つひに仏法に​すすめいれ​んがため​なり。

これ​すなはち「和光同塵は結縁の​はじめ、八相成道は利物の​をはり」(摩訶止観)といへる​は​この​こころ​なり。されば今の世の衆生、仏法を信じ念仏をも申さ​ん人をば、神明はあながちに​わが本意と​おぼしめす​べし。この​ゆゑに、弥陀一仏の悲願に帰すれ​ば、とりわけ神明を​あがめず信ぜ​ね​ども、その​うち​に​おなじく信ずる​こころ​は​こもれ​る​ゆゑなり。

 二つ​には、諸仏・菩薩と申す​は、神明の本地なれば、今の時の衆生は阿弥陀如来を信じ念仏申せ​ば、一切の諸仏・菩薩は、わが本師阿弥陀如来を信ずる​に、その​いはれ​ある​によりて、わが本懐と​おぼしめす​がゆゑに、別して諸仏をとりわき信ぜ​ね​ども、阿弥陀仏一仏を信じ​たてまつる​うち​に、一切の諸仏も菩薩も​みな​ことごとく​こもれ​る​がゆゑに、ただ阿弥陀如来を一心一向に帰命すれば、一切の諸仏の智慧も功徳も、弥陀一体に帰せ​ず​といふ​こと​なき​いはれ​なればなり​と​しる​べし。

 三つ​には、諸宗・諸法を誹謗する​こと​おほきなる​あやまり​なり。その​いはれ​すでに浄土の三部経に​みえ​たり。また諸宗の学者も、念仏者をば​あながちに誹謗す​べから​ず。自宗・他宗ともに​その​とが​のがれがたき​こと道理必然せ​り。

 四つ​には、守護・地頭において​は、かぎり​ある年貢所当を​ねんごろに沙汰し、その​ほか仁義をもつて本と​す​べし。

 五つ​には、国の仏法の次第、当流の正義に​あらざる​あひだ、かつは邪見に​みえ​たり。所詮自今以後において​は、当流真実の正義を​きき​て、日ごろ​の悪心を​ひるがへし​て、善心に​おもむく​べき​ものなり。

 六つ​には、当流真実の念仏者といふは、開山(親鸞)の定めおき​たまへ​る正義を​よく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生を​とぐる​をもつて宗の本意と​す​べし。

それ一流の安心の正義の​おもむき​といふは、なにのやうも​なく、阿弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、われ​は​あさましき悪業煩悩の身なれども、かかる​いたづらもの​を本と​たすけ​たまへ​る弥陀願力の強縁なり​と不可思議に​おもひ​たてまつり​て、一念も疑心なく、おもふ​こころ​だに​も堅固なれば、かならず弥陀は無礙の光明を放ち​て​その身を摂取し​たまふ​なり。

かやうに信心決定し​たらん​ひと​は、十人は十人ながら、みな​ことごとく報土に往生す​べし。この​こころ​すなはち他力の信心を決定し​たる​ひと​なり​といふ​べし。

この​うへ​に​なほ​こころう​べき​やう​は、まことに​ありがたき阿弥陀如来の広大の御恩なり​と​おもひ​て、その仏恩報謝の​ため​に​は、ね​ても​おき​ても​ただ南無阿弥陀仏と​ばかり​となふ​べき​なり。されば​この​ほか​には、また後生の​ため​とて​は、なにの不足ありて​か、相伝も​なき​しら​ぬえせ法門を​いひ​て、ひと​をも​まどはし、あまつさへ法流をも​けがさ​ん​こと、まことに​あさましき次第に​あらず​や。よくよく​おもひ​はからふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明七年七月十五日

(11) 毎年不闕章

 そもそも、今月二十八日は開山聖人(親鸞)御正忌として、毎年不闕に​かの知恩報徳の御仏事において​は、あらゆる国郡その​ほか​いかなる卑劣の​ともがら​まで​も、その御恩を​しら​ざる​もの​は​まことに木石に​ことなら​ん​ものか。

これ​について愚老、この四五箇年の​あひだ​は、なにとなく北陸の山海の​かたほとりに居住す​と​いへども、はからざるに​いまに存命せしめ、この当国に​こえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講に​あひ​たてまつる条、まことに​もつて不可思議の宿縁、よろこび​ても​なほ​よろこぶ​べき​ものか。

しかれば、自国他国より来集の諸人において、まづ開山聖人の定め​おか​れ​し御掟の​むね​を​よく存知す​べし。

その御ことば​に​いはく、「たとひ牛盗人と​は​よば​る​とも、仏法者・後世者と​みゆる​やう​に振舞ふ​べから​ず。また外には仁・義・礼・智・信を​まもり​て王法をもつて先と​し、内心には​ふかく本願他力の信心を本と​す​べき」よし​を、ねんごろに仰せ定め​おか​れ​し​ところに、

近代このごろ​の人の仏法知り顔の体たらく​を​みおよぶ​に、外相には仏法を信ずる​よし​を​ひと​に​みえ​て、内心には​さらに​もつて当流安心の一途を決定せしめ​たる分なく​して、あまつさへ相伝も​せざる聖教を​わが身の字ぢから​をもつて​これ​を​よみ​て、しら​ぬ​えせ法門を​いひ​て、自他の門徒中を経回して虚言を​かまへ、結句本寺より​の成敗と号し​て人を​たぶろかし、物を​とり​て当流の一義を​けがす条、真実真実あさましき次第に​あらず​や。

これ​によりて、今月二十八日の御正忌七日の報恩講中において、わろき心中の​とほり​を改悔懴悔して、おのおの正義に​おもむか​ずは、たとひこの七日の報恩講中において、足手を​はこび、人まね​ばかり​に報恩謝徳の​ため​と号す​とも、さらに​もつて​なにの所詮も​ある​べから​ざる​ものなり。

されば弥陀願力の信心を獲得せしめ​たらん人の​うへ​において​こそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんど​とも申す​こと​は​ある​べけれ。この道理を​よくよく​こころえ​て足手をも​はこび、聖人をも​おもんじ​たてまつら​ん人こそ、真実に冥慮にも​あひ​かなひ、また別して​は、当月御正忌の報恩謝徳の懇志にも​ふかく​あひ​そなはり​つ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明七年十一月二十一日これ​を書く。

(12) 宿善有無章

 そもそも、いにしへ近年このごろ​の​あひだ​に、諸国在々所々において、随分、仏法者と号し​て法門を讃嘆し勧化を​いたす​ともがら​の​なか​において、さらに真実に​わが​こころ当流の正義に​もとづか​ず​と​おぼゆる​なり。

その​ゆゑ​を​いかん​といふ​に、まづ​かの心中に​おもふやう​は、われ​は仏法の根源を​よく知り顔の体にて、しかも​たれ​に相伝し​たる分も​なく​して、あるいは縁の端、障子の外にて、ただ自然とききとり法門の分斉をもつて、真実に仏法に​その​こころざしは​あさく​して、われ​より​ほか​は仏法の次第を存知し​たる​もの​なき​やう​に​おもひ​はんべり。

これ​によりて、たまたま​も当流の正義を​かたのごとく讃嘆せしむる​ひと​を​みて​は、あながちに​これ​を偏執す。すなはち​われ​ひとり​よく知り顔の風情は、第一に憍慢の​こころ​に​あらず​や。

かくのごとき​の心中をもつて、諸方の門徒中を経回し​て聖教を​よみ、あまつさへ​わたくし​の義をもつて本寺より​の​つかひ​と号し​て、人をへつらひ、虚言を​かまへ、もの​を​とる​ばかり​なり。これら​の​ひと​をば、なにと​して​よき仏法者、また聖教よみ​と​は​いふ​べき​をや。あさまし​あさまし。なげき​ても​なほ​なげく​べき​は​ただ​この一事なり。

これ​によりて、まづ当流の義を​たて、ひと​を勧化せん​と​おもはん​ともがら​において​は、その勧化の次第を​よく存知す​べき​ものなり。

 それ、当流の他力信心の​ひととほり​を​すすめ​ん​と​おもは​ん​には、まづ宿善・無宿善の機を沙汰す​べし。されば​いかに昔より当門徒に​その名を​かけ​たる​ひと​なり​とも、無宿善の機は信心を​とり​がたし。まことに宿善開発の機は​おのづから信を決定す​べし。されば無宿善の機の​まへ​において​は、正雑二行の沙汰を​する​とき​は、かへりて誹謗のもとゐ​と​なる​べき​なり。この宿善・無宿善の道理を分別せず​して、手びろ​に世間の​ひと​をも​はばから​ず勧化を​いたす​こと、もつてのほか​の当流の掟に​あひ​そむけり。

されば大経(下)に​のたまはく、「若人無善本不得聞此経」とも​いひ、「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」とも​いへ​り。

また善導は「過去已曽 修習此法 今得重聞 則生歓喜」(定善義)とも釈せ​り。

いづれの経釈に​よる​とも、すでに宿善に​かぎれ​り​と​みえ​たり。しかれば、宿善の機を​まもり​て、当流の法をば​あたふ​べし​と​きこえ​たり。この​おもむき​を​くはしく存知して、ひと​をば勧化す​べし。

ことに​まづ王法をもつて本と​し、仁義を先として、世間通途の義に順じ​て、当流安心をば内心に​ふかく​たくはへ​て、外相に法流の​すがた​を他宗・他家に​みえ​ぬ​やう​に​ふるまふ​べし。この​こころ​をもつて当流真実の正義を​よく存知せしめ​たる​ひとと​は​なづく​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明八年正月二十七日

(13) 夫当流門徒中章

 それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめ​たらん人の身の​うへ​にも、また未決定の人の安心を​とら​ん​と​おもは​ん人も、こころう​べき次第は、まづほか​には王法を本と​し、諸神・諸仏・菩薩を​かろしめ​ず、また諸宗・諸法を謗ぜ​ず、国ところ​に​あらば守護・地頭に​むき​ては疎略なく、かぎり​ある年貢所当をつぶさに沙汰を​いたし、その​ほか仁義をもつて本と​し、また後生のために​は内心に阿弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、自余の雑行雑善に​こころ​をば​とどめ​ず​して、一念も疑心なく信じ​まゐらせ​ば、かならず真実の極楽浄土に往生す​べし。

この​こころえ​の​とほり​をもつて、すなはち弥陀如来の他力の信心を​え​たる念仏行者の​すがた​と​は​いふ​べし。

かくのごとく念仏の信心を​とり​て​の​うへ​に、なほ​おもふ​べき​やう​は、さても​かかる​われら​ごとき​の​あさましき一生造悪の罪ふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心を​おこせ​ば、仏の願力に​より​て​たやすく​たすけたまへる弥陀如来の不思議に​まします超世の本願の強縁の​ありがたさ​よ​と、ふかく​おもひ​たてまつり​て、その御恩報謝の​ため​に​は、ね​ても​さめ​ても​ただ念仏ばかり​を​となへ​て、かの弥陀如来の仏恩を報じ​たてまつる​べき​ばかり​なり。

この​うへには後生の​ため​に​なに​を​しり​ても所用なき​ところ​に、ちかごろ​もつてのほか、みな人の​なにの不足ありて​か、相伝も​なき​しら​ぬくせ法門を​いひ​て人をも​まどはし、また無上の法流をも​けがさ​ん​こと、まことに​もつて​あさましき次第なり。よくよく​おもひ​はからふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明八年七月十八日

釈証如(花押)

○ 四 帖

(1) 真宗念仏行者章

 それ、真宗念仏行者の​なか​において、法義について​その​こころえ​なき次第これ​おほし。

しかるあひだ、大概その​おもむき​を​あらはし​をはり​ぬ。所詮自今以後は、同心の行者は​この​ことば​をもつて本と​す​べし。これ​について​ふたつ​の​こころ​あり。一つ​には、自身の往生す​べき安心を​まづ治定す​べし。二つ​には、ひと​を勧化せん​に宿善・無宿善の​ふたつ​を分別して勧化を​いたす​べし。この道理を心中に決定して​たもつ​べし。

しかれば、わが往生の一段において​は、内心に​ふかく一念発起の信心を​たくはへ​て、しかも他力仏恩の称名をたしなみ、その​うへ​には​なほ王法を先とし、仁義を本と​す​べし。また諸仏・菩薩等を疎略に​せず、諸法・諸宗を軽賎せず、ただ世間通途の義に順じ​て、外相に当流法義の​すがた​を他宗・他門の​ひと​に​みせ​ざる​をもつて、当流聖人(親鸞)の掟を​まもる真宗念仏の行者と​いひ​つ​べし。

ことに当時このごろ​は、あながちに偏執す​べき耳を​そばだて、謗難の​くちびる​を​めぐらす​をもつて本と​する時分たる​あひだ、かたく​その用捨ある​べき​ものなり。

そもそも、当流に​たつる​ところの他力の三信といふは、第十八の願に「至心信楽欲生我国」といへり。これ​すなはち三信と​は​いへども、ただ弥陀を​たのむ​ところの行者帰命の一心なり。

そのゆゑは​いかん​といふ​に、宿善開発の行者、一念弥陀に帰命せん​と​おもふ​こころ​の一念おこるきざみ、仏の心光、かの一念帰命の行者を摂取し​たまふ。その時節を​さし​て至心・信楽・欲生の三信とも​いひ、また​この​こころ​を願成就の文(大経・下)には「即得往生住不退転」と説け​り。あるいは​この位を、すなはち真実信心の行人とも、宿因深厚の行者とも、平生業成の人とも​いふ​べし。されば弥陀に帰命す​といふ​も、信心獲得す​といふ​も、宿善に​あらず​といふ​こと​なし。

しかれば、念仏往生の根機は、宿因の​もよほし​に​あらず​は、われら今度の報土往生は不可なり​と​みえ​たり。

この​こころ​を聖人の御ことば​には「遇獲信心遠慶宿縁」(文類聚鈔)と仰せ​られ​たり。これ​によりて、当流の​こころ​は、人を勧化せん​と​おもふ​とも、宿善・無宿善の​ふたつ​を分別せず​は​いたづらごと​なる​べし。この​ゆゑに、宿善の有無の根機を​あひ​はかり​て人をば勧化す​べし。

しかれば、近代当流の仏法者の風情は、是非の分別なく当流の義を荒涼に讃嘆せしむる​あひだ、真宗の正意、この​いはれ​に​より​て​あひ​すたれ​たり​と​きこえ​たり。かくのごとき​ら​の次第を委細に存知して、当流の一義をば讃嘆す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明九年丁酉正月八日

(2) 定命章

 それ、人間の寿命を​かぞふれ​ば、今の時の定命は五十六歳なり。しかるに当時において、年五十六まで生き延び​たらん人は、まことに​もつていかめしき​こと​なる​べし。

これ​によりて、予すでに頽齢六十三歳に​せまれ​り。勘篇すれば年は​はや七年まで生き延び​ぬ。これ​につけて​も、前業の所感なれば、いかなる病患を​うけ​て​か死の縁に​のぞま​ん​と​おぼつかなし。これ​さらに​はから​ざる次第なり。ことに​もつて当時の体たらく​を​みおよぶ​に、定相なき時分なれば、人間の​かなしさ​は​おもふやう​にも​なし。あはれ死な​ばや​と​おもは​ば、やがて死な​れ​なん世にても​あらば、などか​いま​まで​この世に​すみ​はんべり​なん。

ただ​いそぎ​ても生れ​たき​は極楽浄土、ねがう​ても​ねがひ​え​ん​もの​は無漏の仏体なり。しかれば、一念帰命の他力安心を仏智より獲得せしめ​ん身の上において​は、畢命為期まで仏恩報尽の​ため​に称名を​つとめ​ん​に​いたり​ては、あながちに​なにの不足ありて​か、先生より定まれ​る​ところの死期を​いそが​ん​も、かへりて​おろかに​まどひ​ぬる​か​とも​おもひはんべる​なり。この​ゆゑに愚老が身上に​あて​て​かくのごとく​おもへ​り。たれの​ひとびと​も​この心中に住す​べし。

ことに​もつて、この世界の​ならひ​は老少不定にして電光朝露の​あだなる身なれば、いま​も無常の風きたら​ん​こと​をば​しら​ぬ体にて​すぎゆき​て、後生をば​かつて​ねがは​ず、ただ今生をば​いつ​まで​も生き延び​んずる​やう​に​こそ​おもひ​はんべれ。あさまし​といふ​も​なほ​おろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願を​たのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生を​ねがひ、称名念仏せしむ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 時に文明九年九月十七日にはかに思ひ出づる​の​あひだ、辰剋以前に早々これ​を書き記し​をはり​ぬ。

信証院六十三歳

  かきおく​も​ふで​に​まかする​ふみ​なれば ことば​の​すゑ​ぞ​をかしかり​ける

(3) 当時世上章

 それ、当時世上の体たらく、いつ​の​ころ​にか落居す​べき​とも​おぼえ​はんべら​ざる風情なり。

しかるあひだ、諸国往来の通路に​いたる​まで​も、たやすから​ざる時分なれば、仏法・世法につけて​も千万迷惑の​をりふし​なり。これ​によりて、あるいは霊仏・霊社参詣の諸人も​なし。これ​につけて​も、人間は老少不定と​きく​とき​は、いそぎ​いかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をも​ねがふ​べき​こと​なり。

しかるに今の世も末法濁乱と​は​いひ​ながら、ここ​に阿弥陀如来の他力本願は、今の時節は​いよいよ不可思議に​さかりなり。されば​この広大の悲願に​すがり​て、在家止住の​ともがら​において​は、一念の信心を​とり​て法性常楽の浄刹に往生せず​は、まことに​もつて宝の山に入り​て、手を​むなしく​して​かへら​ん​に似たる​もの​か。よくよく​こころ​を​しづめ​て​これ​を案ず​べし。

しかれば、諸仏の本願を​くはしく​たづぬる​に、五障の女人、五逆の悪人をば​すくひ​たまふ​こと​かなは​ず​と​きこえ​たり。これ​につけて​も阿弥陀如来こそ​ひとり無上殊勝の願を​おこし​て、悪逆の凡夫、五障の女質をば、われ​たすく​べき​といふ大願をば​おこし​たまひ​けり。ありがたし​といふ​も​なほ​おろかなり。

これ​によりて、むかし釈尊、霊鷲山に​ましまし​て、一乗法華の妙典を説か​れ​し​とき、提婆・阿闍世の逆害を​おこし、釈迦、韋提をして安養を​ねがは​しめ​たまひ​し​によりて、かたじけなく​も霊山法華の会座を没し​て王宮に降臨して、韋提希夫人の​ため​に浄土の教を​ひろめ​ましまし​し​によりて、弥陀の本願この​とき​に​あたり​て​さかんなり。

このゆゑに法華と念仏と同時の教といへる​こと​は、この​いはれ​なり。これ​すなはち末代の五逆・女人に安養の往生を​ねがは​しめ​んがため​の方便に、釈迦、韋提・調達(提婆達多)・闍世の五逆を​つくり​て、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれ​ば、かならず安養の往生を​とぐる​ものなり​と​しら​せ​たまへ​り​と​しる​べし。

あなかしこ、あなかしこ。

文明九歳九月二十七日これ​を記す。

(4) 三首詠歌章

 それ、秋も去り春も去り​て、年月を送る​こと、昨日も過ぎ今日も過ぐ。いつ​の​ま​にか​は年老の​つもる​らん​とも​おぼえ​ず​しら​ざり​き。

しかるに​その​うち​には、さりとも、あるいは花鳥風月の​あそび​にも​まじはり​つらん。また歓楽苦痛の悲喜にも​あひ​はんべり​つらん​なれども、いまに​それ​とも​おもひ​いだす​こと​とて​は​ひとつ​も​なし。ただ​いたづらに​あかし、いたづらに​くらし​て、老の白髪と​なりはて​ぬる身の​ありさま​こそ​かなし​けれ。されども今日まで​は無常の​はげしき風にも​さそは​れ​ず​して、わが身ありがほ​の体を​つらつら案ずる​に、ただ夢の​ごとし、幻の​ごとし。いま​において​は、生死出離の一道ならでは、ねがふ​べき​かた​とて​は​ひとつ​も​なく、また​ふたつ​も​なし。

これ​によりて、ここ​に未来悪世の​われら​ごとき​の衆生を​たやすく​たすけ​たまふ阿弥陀如来の本願の​まします​と​きけ​ば、まことに​たのもしく、ありがたく​も​おもひ​はんべる​なり。この本願を​ただ一念無疑に至心帰命し​たてまつれ​ば、わづらひ​も​なく、その​とき臨終せば往生治定す​べし。もし​その​いのち​のび​なば、一期の​あひだ​は仏恩報謝の​ため​に念仏して畢命を期と​す​べし。これ​すなはち平生業成の​こころ​なる​べし​と、たしかに聴聞せしむる​あひだ、その決定の信心の​とほり、いまに耳の底に退転せしむる​こと​なし。ありがたし​といふ​も​なほ​おろかなる​ものなり。

されば弥陀如来他力本願の​たふとさ​ありがたさ​のあまり、かくのごとく口に​うかむ​に​まかせ​て​この​こころ​を詠歌に​いはく、

  ひとたびもほとけ​を​たのむ​こころ​こそ まこと​の​のり​に​かなふ​みち​なれ

  つみ​ふかく如来を​たのむ身に​なれば のり​の​ちから​に西へ​こそ​ゆけ

  法を​きく​みち​に​こころ​の​さだまれ​ば 南無阿弥陀仏と​となへ​こそ​すれ と。

 わが身ながら​も本願の一法の殊勝なる​あまり、かく申し​はんべり​ぬ。この三首の歌の​こころ​は、はじめ​は、一念帰命の信心決定の​すがた​を​よみ​はんべり。のちの歌は、入正定聚の益、必至滅度の​こころ​を​よみ​はんべり​ぬ。つぎ​の​こころ​は、慶喜金剛の信心の​うへには、知恩報徳の​こころ​を​よみ​はんべり​し​なり。

されば他力の信心発得せしむる​うへ​なれば、せめて​は​かやうに​くちずさみ​ても、仏恩報尽の​つとめ​にも​や​なり​ぬ​べき​とも​おもひ、また​きく​ひと​も宿縁あらば、などや​おなじ​こころ​に​なら​ざらん​と​おもひ​はんべり​し​なり。

しかるに予すでに七旬の​よはひ​に​および、ことに愚闇無才の身として、片腹いたく​も​かくのごとくしら​ぬ​えせ法門を申す​こと、かつは斟酌をも​かへりみ​ず、ただ本願の​ひとすぢ​の​たふとさ​ばかり​のあまり、卑劣の​このことの葉を筆に​まかせ​て書きしるし​をはり​ぬ。のち​に​み​ん人、そしり​を​なさ​ざれ。これ​まことに讃仏乗の縁・転法輪の因とも​なり​はんべり​ぬ​べし。あひかまへて偏執を​なす​こと​ゆめゆめ​なかれ。

あなかしこ、あなかしこ。

 時に文明年中丁酉暮冬仲旬の​ころ、炉辺において暫時に​これ​を書き記す​ものなり​と云々。

 右この書は、当所はりの木原辺より九間在家へ仏照寺所用ありて出行の​とき、路次にて​この書を​ひろひ​て当坊へ​もちきたれ​り。

文明九年十二月二日

(5) 中古以来章

 それ、中古以来当時に​いたる​まで​も、当流の勧化を​いたす​その人数の​なか​において、さらに宿善の有無といふ​こと​を​しらず​して勧化を​なす​なり。

所詮自今以後において​は、この​いはれ​を存知せしめ​て、たとひ聖教をも​よみ、また暫時に法門を​いは​ん​とき​も、この​こころ​を覚悟して一流の法義をば讃嘆し、あるいは​また仏法聴聞の​ため​に​とて人数おほく​あつまり​たらん​とき​も、この人数の​なか​において、もし無宿善の機や​ある​らん​と​おもひ​て、一流真実の法義を沙汰す​べから​ざる​ところ​に、近代人々の勧化する体たらく​を​みおよぶ​に、この覚悟は​なく、ただ​いづれの機なり​とも​よく勧化せば、などか当流の安心に​もとづか​ざらん​やう​に​おもひ​はんべり​き。これ​あやまり​と​しる​べし。かくのごとき​の次第を​ねんごろに存知して、当流の勧化をば​いたす​べき​ものなり。

中古このごろ​に​いたる​まで、さらに​その​こころ​を得て​うつくしく勧化する人なし。これら​の​おもむき​を​よくよく覚悟して、かたのごとく​の勧化をば​いたす​べき​ものなり。

そもそも、今月二十八日は、毎年の儀として、懈怠なく開山聖人(親鸞)の報恩謝徳の​ため​に念仏勤行を​いたさ​ん​と擬する人数これ​おほし。まことに​もつて流を汲ん​で本源を​たづぬる道理を存知せ​る​がゆゑなり。ひとへに​これ聖人の勧化の​あまねき​が​いたす​ところ​なり。

しかるあひだ、近年ことのほか当流に讃嘆せざるひが法門を​たて​て、諸人を​まどは​しめ​て、あるいは​その​ところ​の地頭・領主にも​とがめ​られ、わが身も悪見に住して、当流の真実なる安心の​かた​も​ただしから​ざる​やう​に​みおよべ​り。あさましき次第に​あらず​や。かなしむ​べし、おそる​べし。

所詮今月報恩講七昼夜の​うち​において、各々に改悔の心を​おこし​て、わが身の​あやまれ​る​ところ​の心中を心底に​のこさ​ず​して、当寺の御影前において、回心懴悔して、諸人の耳に​これ​を​きか​しむる​やう​に毎日毎夜に​かたる​べし。

これ​すなはち「謗法闡提回心皆往」(法事讃・上)の御釈にも​あひ​かなひ、また「自信教人信」(礼讃)の義にも相応す​べき​ものなり。しからば​まことに​こころ​あら​ん人々は、この回心懴悔を​きき​ても、げにも​と​おもひ​て、おなじく日ごろ​の悪心を​ひるがへし​て善心に​なりかへる人も​ある​べし。これ​ぞ​まことに今月聖人の御忌の本懐に​あひ​かなふ​べし。これ​すなはち報恩謝徳の懇志たる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明十四年十一月二十一日

(6) 三ヶ条章

 そもそも、当月の報恩講は、開山聖人(親鸞)の御遷化の正忌として、例年の旧儀と​す。

これ​によりて、遠国近国の門徒の​たぐひ、この時節に​あひ​あたり​て、参詣の​こころざし​を​はこび、報謝の​まこと​を​いたさ​ん​と欲す。しかるあひだ、毎年七昼夜の​あひだ​において、念仏勤行を​こらし​はげます。これ​すなはち真実信心の行者繁昌せしむる​ゆゑ​なり。まことに​もつて念仏得堅固の時節到来と​いひ​つ​べき​ものか。

この​ゆゑに、一七箇日の​あひだ​において参詣を​いたす​ともがら​の​なか​において、まことに人まね​ばかり​に御影前へ出仕を​いたす​やから​これ​ある​べし。かの仁体において、はやく御影前に​ひざまづい​て回心懴悔の​こころ​を​おこし​て、本願の正意に帰入して、一念発起の真実信心をまうく​べき​ものなり。

それ、南無阿弥陀仏といふは、すなはち​これ念仏行者の安心の体なり​と​おもふ​べし。その​ゆゑは、「南無」といふは帰命なり。「即是帰命」といふは、われら​ごとき​の無善造悪の凡夫の​うへ​において、阿弥陀仏を​たのみ​たてまつる​こころ​なり​と​しる​べし。その​たのむ​こころ​といふは、すなはち​これ、阿弥陀仏の、衆生を八万四千の大光明の​なか​に摂取して、往還二種の回向を衆生に​あたへ​まします​こころ​なり。

されば信心といふ​も別の​こころ​に​あらず。みな南無阿弥陀仏の​うち​に​こもり​たる​もの​なり。

ちかごろ​は、人の別の​こと​の​やう​に​おもへ​り。これ​について諸国において、当流門人の​なか​に、おほく祖師(親鸞)の定め​おか​るる​ところの聖教の所判に​なき​くせ法門を沙汰して法義を​みだす条、もつてのほか​の次第なり。所詮かくのごとき​の​やから​において​は、あひかまへて、この一七箇日報恩講の​うち​にありて、その​あやまり​をひるがへし​て正義にもとづく​べき​ものなり。

 一 仏法を棟梁し、かたのごとく坊主分を​もち​たらん人の身上において、いささか​も相承も​せざる​しら​ぬ​えせ法門をもつて人に​かたり、われ物しり​と​おもは​れ​ん​ため​に​とて、近代在々所々に繁昌す​と云々。これ言語道断の次第なり。

 一 京都本願寺御影へ参詣申す身なり​と​いひ​て、いかなる人の​なか​とも​いは​ず、大道・大路にても、また関・渡の船中にても、はばからず仏法方の​こと​を人に顕露に​かたる​こと、おほきなる​あやまり​なり。

 一 人ありて​いはく、「わが身は​いかなる仏法を信ずる人ぞ」と​あひ​たづぬる​こと​あり​とも、しかと「当流の念仏者なり」と答ふ​べから​ず。ただ「なに宗とも​なき、念仏ばかり​は​たふとき​こと​と存じ​たる​ばかり​なる​もの​なり」と答ふ​べし。これ​すなはち当流聖人(親鸞)の​をしへ​まします​ところの、仏法者と​みえ​ざる人の​すがた​なる​べし。

されば​これら​の​おもむき​を​よくよく存知して、外相に​その​いろ​を​みせ​ざる​をもつて、当流の正義と​おもふ​べき​ものなり。これ​について、この両三年の​あひだ報恩講中において、衆中として定めおくところの義ひとつ​として違変ある​べから​ず。この衆中において万一相違せしむる子細これ​あらば、ながき世、開山聖人(親鸞)の御門徒たる​べから​ざる​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明十五年十一月 日

(7) 六ヶ条章

 そもそも、今月報恩講の​こと、例年の旧儀として七日の勤行を​いたす​ところ、いまに​その退転なし。

しかるあひだ、この時節に​あひ​あたり​て、諸国門葉の​たぐひ、報恩謝徳の懇志を​はこび、称名念仏の本行を尽す。まことに​これ専修専念決定往生の徳なり。この​ゆゑに諸国参詣の​ともがら​において、一味の安心に住する人まれなる​べし​と​みえ​たり。そのゆゑは真実に仏法に​こころざし​は​なく​して、ただ人まね​ばかり、あるいは仁義まで​の風情ならば、まことに​もつて​なげかしき次第なり。

そのいはれ​いかん​といふ​に、未安心の​ともがら​は不審の次第をも沙汰せざる​とき​は、不信の​いたり​とも​おぼえ​はんべれ。されば​はるばる​と万里の遠路を​しのぎ、また莫大の苦労を​いたし​て上洛せしむる​ところ、さらに​もつて​その所詮なし。かなしむ​べし、かなしむ​べし。ただし不宿善の機ならば無用と​いひ​つ​べき​ものか。

 一 近年は仏法繁昌とも​みえ​たれ​ども、まことに​もつて坊主分の人に​かぎり​て、信心の​すがた一向無沙汰なり​と​きこえ​たり。もつてのほか​なげかしき次第なり。

 一 すゑずゑ​の門下の​たぐひ​は、他力の信心の​とほり聴聞の​ともがら​これ​おほき​ところ​に、坊主より​これ​を腹立せしむる​よし​きこえ​はんべり。言語道断の次第なり。

 一 田舎より参詣の面々の身上において​こころう​べき旨あり。そのゆゑは、他人の​なか​とも​いは​ず、また大道・路次なんど​にても、関屋・船中をも​はばから​ず、仏法方の讃嘆を​する​こと勿体なき次第なり。かたく停止す​べき​なり。

 一 当流の念仏者を、あるいは人ありて、「なに宗ぞ」と​あひ​たづぬる​こと​たとひ​あり​とも、しかと「当宗念仏者」と答ふ​べから​ず。ただ「なに宗とも​なき念仏者なり」と答ふ​べし。これ​すなはち​わが聖人(親鸞)の仰せおか​るる​ところの、仏法者気色みえ​ぬふるまひ​なる​べし。この​おもむき​を​よくよく存知して、外相に​その​いろ​を​はたらく​べから​ず。まことに​これ当流の念仏者の​ふるまひの正義たる​べき​ものなり。

 一 仏法の由来を、障子・かき​ごし​に聴聞して、内心に​さぞ​と​たとひ領解す​といふ​とも、かさねて人にその​おもむき​を​よくよく​あひ​たづね​て、信心の​かた​をば治定す​べし。その​まま​わが心に​まかせ​ば、かならず​かならず​あやまり​なる​べし。ちかごろ​これら​の子細当時さかんなり​と云々。

 一 信心を​え​たる​とほり​をば、いくたび​も​いくたび​も人に​たづね​て他力の安心をば治定す​べし。一往聴聞して​は​かならず​あやまり​ある​べき​なり。

 右この六箇条の​おもむき​よくよく存知す​べき​ものなり。近年仏法は人みな聴聞す​と​は​いへども、一往の義を​きき​て、真実に信心決定の人これ​なき​あひだ、安心もうとうとしき​がゆゑなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明十六年十一月二十一日

(8) 八ヶ条章

 そもそも、今月二十八日の報恩講は昔年より​の流例たり。これによりて、近国遠国の門葉、報恩謝徳の懇志を​はこぶ​ところ​なり。二六時中の称名念仏、今古退転なし。

これ​すなはち開山聖人(親鸞)の法流、一天四海の勧化比類なき​が​いたす​ところ​なり。この​ゆゑに七昼夜の時節に​あひ​あたり、不法不信の根機において​は、往生浄土の信心獲得せしむ​べき​ものなり。これ​しかしながら、今月聖人の御正忌の報恩たる​べし。しからざら​ん​ともがら​において​は、報恩謝徳の​こころざし​なき​に似たる​ものか。

これ​によりて、このごろ真宗の念仏者と号する​なか​に、まことに心底より当流の安心決定なき​あひだ、あるいは名聞、あるいは​ひとなみ​に報謝を​いたす​よし​の風情これ​あり。もつてのほか​しかるべから​ざる次第なり。

そのゆゑは、すでに万里の遠路を​しのぎ莫大の辛労を​いたし​て上洛の​ともがら、いたづらに名聞ひとなみ​の心中に住する​こと口惜しき次第に​あらず​や。すこぶる不足の所存と​いひ​つ​べし。ただし無宿善の機に​いたり​ては​ちから​およば​ず。しかり​と​いへども、無二の懴悔を​いたし、一心の正念に​おもむか​ば、いかでか聖人の御本意に達せ​ざらん​ものを​や。

 一 諸国参詣の​ともがらの​なか​において、在所を​きらは​ず、いかなる大道・大路、また関屋・渡の船中にても、さらに​その​はばかり​なく仏法方の次第を顕露に人に​かたること、しかるべから​ざる事。

 一 在々所々において、当流に​さらに沙汰せざるめづらしき法門を讃嘆し、おなじく宗義に​なきおもしろき名目なんど​を​つかふ人これ​おほし。もつてのほか​の僻案なり。自今以後、かたく停止す​べき​ものなり。

 一 この七箇日報恩講中において​は、一人も​のこら​ず信心未定の​ともがら​は、心中を​はばから​ず改悔懴悔の心を​おこし​て、真実信心を獲得す​べき​ものなり。

 一 もとより​わが安心の​おもむき​いまだ決定せしむる分も​なき​あひだ、その不審を​いたす​べき​ところ​に、心中を​つつみ​て​ありのまま​に​かたら​ざる​たぐひ​ある​べし。これ​を​せめ​あひ​たづぬる​ところ​に、ありのまま​に心中を​かたら​ず​して、当場を​いひぬけ​ん​と​する人のみ​なり。勿体なき次第なり。心中を​のこさ​ず​かたり​て、真実信心に​もとづく​べき​ものなり。

 一 近年仏法の棟梁たる坊主達、わが信心は​きはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心は決定する​あひだ、坊主の信心不足の​よし​を申せ​ば、もつてのほか腹立せしむる条、言語道断の次第なり。以後において​は、師弟ともに一味の安心に住す​べき事。

 一 坊主分の人、ちかごろ​は​ことのほか重杯の​よし、その​きこえ​あり。言語道断しかるべから​ざる次第なり。あながちに酒を飲む人を停止せよ​といふ​にはあらず。仏法に​つけ門徒に​つけ、重杯なれば、かならず​ややもすれば酔狂のみ出来せしむる​あひだ、しかるべから​ず。さ​あら​ん​とき​は、坊主分は停止せ​られ​ても、まことに興隆仏法とも​いひ​つ​べき​か。しからずは、一盞にても​しかるべき​か。これ​も仏法に​こころざし​の​うすき​に​より​て​の​こと​なれば、これ​を​とどま​ら​ざる​も道理か。ふかく思案ある​べき​ものなり。

 一 信心決定の​ひと​も、細々に同行に会合の​とき​は、あひ​たがひに信心の沙汰あらば、これ​すなはち真宗繁昌の根元なり。

 一 当流の信心決定す​といふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字の​すがた​と​こころう​べき​なり。すでに善導釈し​て​いはく、「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行」(玄義分)といへり。「南無」と衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏の​その衆生を​よく​しろしめし​て、万善万行恒沙の功徳を​さづけ​たまふ​なり。この​こころ​すなはち「阿弥陀仏即是其行」といふ​こころ​なり。この​ゆゑに、南無と帰命する機と阿弥陀仏の​たすけ​まします法と​が一体なる​ところ​を​さし​て、機法一体の南無阿弥陀仏と​は申す​なり。

かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たり​し​とき、「衆生仏に成ら​ずはわれ​も正覚成ら​じ」と誓ひ​まします​とき、その正覚すでに成じ​たまひ​し​すがた​こそ、いま​の南無阿弥陀仏なり​と​こころう​べし。これ​すなはち​われら​が往生の定まり​たる証拠なり。されば他力の信心獲得す​といふ​も、ただ​この六字の​こころ​なり​と落居す​べき​ものなり。

 そもそも、この八箇条の​おもむき​かくのごとし。しかるあひだ、当寺建立は​すでに九箇年に​およべ​り。毎年の報恩講中において、面々各々に随分信心決定の​よし領納あり​と​いへども、昨日今日まで​も、その信心の​おもむき不同なる​あひだ、所詮なき​ものか。しかり​と​いへども、当年の報恩講中に​かぎり​て、不信心の​ともがら、今月報恩講の​うち​に早速に真実信心を獲得なく​は、年々を経といふ​とも同篇たる​べき​やう​に​みえ​たり。

しかるあひだ愚老が年齢すでに七旬に​あまり​て、来年の報恩講をも期し​がたき身なる​あひだ、各々に真実に決定信を​え​しめ​ん人あらば、一つは聖人今月の報謝の​ため、一つ​は愚老が​この七八箇年の​あひだ​の本懐とも​おもひ​はんべる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

文明十七年十一月二十三日

(9) 疫癘章

 当時このごろ、ことのほか​に疫癘とて​ひと死去す。これ​さらに疫癘によりて​はじめて死する​には​あらず。生れ​はじめ​し​より​して定まれる定業なり。さのみ​ふかく​おどろく​まじき​こと​なり。

しかれども、今の時分に​あたり​て死去する​とき​は、さも​あり​ぬ​べき​やう​に​みな​ひと​おもへ​り。これ​まことに道理ぞかし。

この​ゆゑに阿弥陀如来の仰せ​られ​ける​やう​は、「末代の凡夫罪業の​われら​たらん​もの、罪は​いかほど​ふかく​とも、われ​を一心に​たのま​ん衆生をば、かならず​すくふ​べし」と仰せ​られ​たり。かかる​とき​は​いよいよ阿弥陀仏を​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、極楽に往生す​べし​と​おもひとり​て、一向一心に弥陀を​たふとき​こと​と疑ふ​こころ露ちり​ほど​も​もつ​まじき​こと​なり。

かくのごとく​こころえ​の​うへには、ね​ても​さめ​ても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申す​は、かやうに​やすく​たすけ​まします御ありがたさ御うれしさ​を申す御礼の​こころ​なり。これ​を​すなはち仏恩報謝の念仏と​は申す​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

延徳四年六月 日

(10) 今の世章

 今の世に​あら​ん女人は、みなみな​こころ​を一つ​にして阿弥陀如来を​ふかく​たのみたてまつる​べし。その​ほか​には、いづれの法を信ず​といふ​とも、後生の​たすかる​といふ​こと​ゆめゆめ​ある​べから​ず​と​おもふ​べし。

されば弥陀をば​なにとやうに​たのみ、また後生をば​なにと​ねがふ​べき​ぞ​といふ​に、なにの​わづらひ​も​なく、ただ一心に弥陀を​たのみ、後生たすけ​たまへ​と​ふかく​たのみ​まうさ​ん人をば、かならず御たすけ​あら​ん​こと​は、さらさら​つゆ​ほど​も疑ある​べから​ざる​ものなり。

この​うへには、はや、しかと御たすけ​ある​べき​こと​の​ありがたさ​よ​と​おもひ​て、仏恩報謝の​ため​に念仏申す​べき​ばかり​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

八十三歳 御判

(11) 機法一体章

 南無阿弥陀仏と申すは、いかなる心にて候ふ​や。しかれば、なにと弥陀を​たのみ​て報土往生をば​とぐ​べく候ふ​やらん。

これ​を心得べき​やう​は、まづ南無阿弥陀仏の六字の​すがた​をよくよく心得わけ​て、弥陀をば​たのむ​べし。

そもそも、南無阿弥陀仏の体は、すなはちわれら衆生の後生たすけ​たまへ​と​たのみ​まうす心なり。すなはち​たのむ衆生を阿弥陀如来の​よく​しろしめし​て、すでに無上大利の功徳を​あたへ​まします​なり。これ​を衆生に回向し​たまへ​る​といへるは​この心なり。

されば弥陀を​たのむ機を阿弥陀仏の​たすけ​たまふ法なる​がゆゑに、これ​を機法一体の南無阿弥陀仏といへる​は​この​こころ​なり。これ​すなはち​われら​が往生の定まり​たる他力の信心なり​と​は心得べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

明応六年五月二十五日これ​を書き​をはり​ぬ。
       八十三歳

(12) 毎月両度章

 そもそも、毎月両度の寄合の由来は​なにの​ため​ぞ​といふ​に、さらに他の​こと​に​あらず。自身の往生極楽の信心獲得の​ため​なる​がゆゑなり。

しかれば、往古より今に​いたる​まで​も、毎月の寄合といふ​こと​は、いづく​にも​これ​あり​と​いへども、さらに信心の沙汰とて​は、かつて​もつて​これ​なし。ことに近年は、いづく​にも寄合の​とき​は、ただ酒・飯・茶なんど​ばかり​にて​みなみな退散せ​り。これ​は仏法の本意には​しかるべから​ざる次第なり。

いかにも不信の面々は、一段の不審をも​たて​て、信心の有無を沙汰す​べき​ところ​に、なにの所詮も​なく退散せしむる条、しかるべから​ず​おぼえ​はんべり。よくよく思案を​めぐらす​べき​こと​なり。

所詮自今以後において​は、不信の面々は​あひ​たがひに信心の讃嘆ある​べき​こと肝要なり。

 それ、当流の安心の​おもむき​といふは、あながちに​わが身の罪障の​ふかき​に​よら​ず、ただ​もろもろ​の雑行の​こころ​を​やめ​て、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけ​たまへ​と​ふかく​たのま​ん衆生をば、ことごとく​たすけ​たまふ​べき​こと、さらに疑ある​べから​ず。かくのごとく​よく​こころえ​たる人は、まことに百即百生なる​べき​なり。

この​うへには、毎月の寄合を​いたし​ても、報恩謝徳の​ため​と​こころえ​なば、これ​こそ真実の信心を具足せしめ​たる行者とも​なづく​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

明応七年二月二十五日これ​を書く。

毎月両度講衆中へ 八十四歳

(13) 孟夏仲旬章

 それ、秋去り春去り、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ごろ​に​なり​ぬれ​ば、予が年齢つもり​て八十四歳ぞかし。しかるに当年に​かぎり​て、ことのほか病気に​をかさるる​あひだ、耳目・手足・身体こころやすから​ざる​あひだ、これ​しかしながら業病の​いたり​なり。また​は往生極楽の先相なり​と覚悟せしむる​ところなり。

これ​によりて、法然聖人の御ことば​に​いはく、「浄土を​ねがふ行人は、病患を得て​ひとへに​これ​を​たのしむ」と​こそ仰せ​られ​たり。しかれども、あながちに病患を​よろこぶ​こころ、さらに​もつて​おこら​ず。あさましき身なり。はづ​べし、かなしむ​べき​ものか。

さりながら予が安心の一途、一念発起平生業成の宗旨において​は、いま一定の​あひだ仏恩報尽の称名は行住坐臥に​わすれ​ざる​こと間断なし。

これ​について、ここ​に愚老一身の述懐これ​あり。その​いはれ​は、われら居住の在所在所の門下の​ともがら​において​は、おほよそ心中を​みおよぶ​に、とりつめ​て信心決定の​すがた​これ​なし​と​おもひ​はんべり。おほきに​なげき​おもふ​ところ​なり。

そのゆゑは、愚老すでに八旬の齢すぐる​まで存命せしむる​しるし​には、信心決定の行者繁昌ありて​こそ、いのち​ながき​しるし​とも​おもひ​はんべる​べき​に、さらに​しかしかと​も決定せしむる​すがた​これ​なし​と​みおよべ​り。その​いはれ​を​いかん​といふ​に、そもそも人間界の老少不定の​こと​を​おもふ​につけて​も、いかなる病を​うけ​て​か死せん​や。

かかる世のなか​の風情なれば、いかにも一日も片時も​いそぎ​て信心決定して、今度の往生極楽を一定して、その​のち人間の​ありさま​に​まかせ​て、世を過す​べき​こと肝要なり​と​みなみな​こころう​べし。

この​おもむき​を心中に​おもひいれ​て、一念に弥陀を​たのむ​こころ​を​ふかく​おこす​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

明応七年初夏仲旬第一日

八十四歳老衲これ​を書く。

  弥陀の名を​きき​うる​こと​の​ある​ならば 南無阿弥陀仏と​たのめ​みな​ひと

(14) 一流安心章

 一流安心の体といふ事。

 南無阿弥陀仏の六字の​すがた​なり​と​しる​べし。

この六字を善導大師釈し​て​いはく、「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生」(玄義分)といへり。

まづ「南無」といふ二字は、すなはち帰命といふ​こころ​なり。「帰命」といふは、衆生の阿弥陀仏後生たすけ​たまへ​と​たのみ​たてまつる​こころ​なり。

また「発願回向」といふは、たのむ​ところの衆生を摂取して​すくひ​たまふ​こころ​なり。これ​すなはちやがて「阿弥陀仏」の四字の​こころ​なり。

されば​われら​ごとき​の愚痴闇鈍の衆生は、なにと​こころ​を​もち、また弥陀をば​なにと​たのむ​べき​ぞ​といふ​に、もろもろ​の雑行を​すて​て一向一心に後生たすけ​たまへ​と弥陀を​たのめ​ば、決定極楽に往生す​べき​こと、さらに​その疑ある​べから​ず。

この​ゆゑに南無の二字は、衆生の弥陀を​たのむ機の​かた​なり。また阿弥陀仏の四字は、たのむ衆生を​たすけ​たまふ​かた​の法なる​がゆゑに、これ​すなはち機法一体の南無阿弥陀仏と申す​こころ​なり。

この道理ある​がゆゑに、われら一切衆生の往生の体は南無阿弥陀仏と​きこえ​たり。

あなかしこ、あなかしこ。

明応七年四月 日

(15) 大坂建立章

 そもそも、当国摂州東成郡生玉の庄内大坂といふ在所は、往古より​いかなる約束のありける​にや、さんぬる明応第五の秋下旬の​ころ​より、かりそめ​ながら​この在所を​みそめ​し​より、すでに​かたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、当年は​はや​すでに三年の星霜を​へ​たり​き。これ​すなはち往昔の宿縁あさから​ざる因縁なり​と​おぼえ​はんべり​ぬ。

それ​について、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯を​こころやすく過し、栄華栄耀を​このみ、また花鳥風月にも​こころ​を​よせ​ず、あはれ無上菩提のために​は信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さ​ん​ともがら​も出来せしむる​やう​にも​あれ​かし​と、おもふ一念の​こころざし​を​はこぶ​ばかり​なり。また​いささか​も世間の人なんど​も偏執の​やから​も​あり、むつかしき題目なんど​も出来あら​ん​とき​は、すみやかに​この在所において執心の​こころ​を​やめ​て、退出す​べき​ものなり。

これ​によりて、いよいよ貴賎道俗を​えらば​ず、金剛堅固の信心を決定せしめ​ん​こと、まことに弥陀如来の本願に​あひ​かなひ、別して​は聖人(親鸞)の御本意にたり​ぬ​べき​ものか。

それ​について、愚老すでに当年は八十四歳まで存命せしむる条不思議なり。まことに当流法義にもあひ​かなふ​か​の​あひだ、本望の​いたり​これ​に​すぐ​べから​ざる​ものか。

しかれば、愚老当年の夏ごろ​より違例せしめて、いま​において本復の​すがた​これ​なし。つひに​は当年寒中にはかならず往生の本懐を​とぐ​べき条一定と​おもひ​はんべり。

あはれ、あはれ、存命の​うち​に​みなみな信心決定あれ​かし​と、朝夕おもひ​はんべり。まことに宿善まかせ​と​は​いひ​ながら、述懐の​こころ​しばらく​も​やむ​こと​なし。

また​は​この在所に三年の居住を​ふる​その甲斐とも​おもふ​べし。あひかまへて​あひかまへて、この一七箇日報恩講の​うち​において、信心決定ありて、われ​ひと一同に往生極楽の本意を​とげ​たまふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 明応七年十一月二十一日より​はじめ​て、これ​を​よみ​て人々に信を​とら​す​べき​ものなり。

釈証如(花押)

○ 五 帖

(1) 末代無智章

 末代無智の在家止住の男女たらん​ともがら​は、こころ​を​ひとつ​にして阿弥陀仏を​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、さらに余の​かた​へ​こころ​を​ふら​ず、一心一向に仏たすけ​たまへ​と申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なり​とも、かならず弥陀如来は​すくひ​まします​べし。

これ​すなはち第十八の念仏往生の誓願の​こころ​なり。

かくのごとく決定して​の​うへには、ね​ても​さめ​ても​いのち​の​あら​ん​かぎり​は、称名念仏す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(2) 八万法蔵章

 それ、八万の法蔵を​しる​といふ​とも、後世を​しら​ざる人を愚者と​す。たとひ一文不知の尼入道なり​といふ​とも、後世を​しる​を智者と​す​といへり。

しかれば、当流の​こころ​は、あながちに​もろもろ​の聖教を​よみ、もの​を​しり​たり​といふ​とも、一念の信心の​いはれ​を​しらざる人は、いたづらごと​なり​と​しる​べし。

されば聖人(親鸞)の御ことば​にも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜ​ず​して​は、ふつと​たすかる​といふ​こと​ある​べから​ず」と仰せ​られ​たり。

この​ゆゑに​いかなる女人なり​といふとも、もろもろ​の雑行を​すて​て、一念に弥陀如来今度の後生たすけ​たまへ​と​ふかく​たのみ​まうさ​ん人は、十人も百人も​みな​ともに弥陀の報土に往生す​べき​こと、さらさら疑ある​べから​ざる​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(3) 在家尼女房章

 それ、在家の尼女房たらん身は、なにのやうも​なく、一心一向に阿弥陀仏を​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、後生たすけ​たまへ​と申さ​ん​ひと​をば、みなみな御たすけ​ある​べし​と​おもひとり​て、さらに疑の​こころ​ゆめゆめ​ある​べから​ず。

これ​すなはち弥陀如来の御ちかひ​の他力本願と​は申す​なり。

この​うへには、なほ後生の​たすから​ん​こと​の​うれしさ​ありがたさ​を​おもは​ば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と​となふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(4) 抑男子女人章

 そもそも、男子も女人も罪の​ふかから​ん​ともがら​は、諸仏の悲願を​たのみ​ても、今の時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちから​にて​は、なかなか​かなは​ざる時なり。これ​によりて、阿弥陀如来と申し​たてまつる​は、諸仏に​すぐれ​て、十悪・五逆の罪人を​われ​たすけ​ん​といふ大願を​おこし​ましまし​て、阿弥陀仏と​なり​たまへ​り。

「この仏を​ふかく​たのみ​て、一念御たすけ候へ​と申さ​ん衆生を、われ​たすけ​ずは正覚成ら​じ」と誓ひ​まします弥陀なれば、われら​が極楽に往生せん​こと​は​さらに疑なし。

この​ゆゑに、一心一向に阿弥陀如来たすけ​たまへ​と​ふかく心に疑なく信じ​て、わが身の罪の​ふかき​こと​をばうちすて、仏に​まかせ​まゐらせ​て、一念の信心定まら​ん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生す​べき​こと、さらに疑なし。

この​うへには、なほなほ​たふとく​おもひ​たてまつら​ん​こころ​の​おこら​ん​とき​は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、時をも​いは​ず、ところ​をも​きらは​ず、念仏申す​べし。これ​を​すなはち仏恩報謝の念仏と申す​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

南无といふ 二字の​うち​には 弥陀を​たのむ
こゝろ​あり​と​は たれ​も​しる​べし

ほれぼれと 弥陀を​たのま​ん ひと​は​みな
つみ​は​ほとけ​に まかす​べき​なり

つみ​ふかき ひと​を​たすくる のり​なれば
弥陀​に​まされる ほとけ​あら​じ​な

(5) 信心獲得章

 信心獲得す​といふは第十八の願を​こころうる​なり。この願を​こころうる​といふは、南無阿弥陀仏のすがたを​こころうる​なり。この​ゆゑに、南無と帰命する一念の処に発願回向の​こころ​ある​べし。これ​すなはち弥陀如来の凡夫に回向し​ましますこころ​なり。

これ​を大経(上)には、「令諸衆生功徳成就」と説け​り。されば無始以来つくり​と​つくる悪業煩悩を、のこる​ところ​も​なく願力不思議をもつて消滅する​いはれ​ある​がゆゑに、正定聚不退の位に住す​となり。

これ​によりて、「煩悩を断ぜ​ず​して涅槃をう」といへる​は​この​こころ​なり。この義は当流一途の所談なる​ものなり。他流の人に対し​て、かくのごとく沙汰ある​べから​ざる​ところ​なり。よくよく​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(6) 一念大利章

 一念に弥陀を​たのみ​たてまつる行者には、無上大利の功徳を​あたへ​たまふ​こころ​を、和讃(正像末和讃)に聖人(親鸞)の​いはく、「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれ​ば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身に​みて​り」。

この和讃の心は、「五濁悪世の衆生」といふは一切われら女人・悪人の​こと​なり。

されば​かかる​あさましき一生造悪の凡夫なれども、弥陀如来を一心一向に​たのみ​まゐらせ​て、後生たすけ​たまへ​と申さ​ん​もの​をば、かならず​すくひ​まします​べき​こと、さらに疑ふ​べから​ず。

かやうに弥陀を​たのみ​まうす​ものには、不可称不可説不可思議の大功徳を​あたへ​まします​なり。「不可称不可説不可思議の功徳」といふ​こと​は、かず​かぎり​も​なき大功徳の​こと​なり。

この大功徳を、一念に弥陀を​たのみ​まうす​われら衆生に回向し​まします​ゆゑに、過去・未来・現在の三世の業障一時に罪消え​て、正定聚の位、また等正覚の位なんど​に定まる​ものなり。

この​こころ​を​また和讃(正像末和讃・意)に​いはく、「弥陀の本願信ず​べし 本願信ずる​ひと​は​みな 摂取不捨の利益ゆゑ 等正覚に​いたる​なり」といへり。

「摂取不捨」といふは、これ​も、一念に弥陀を​たのみ​たてまつる衆生を光明の​なか​に​をさめとり​て、信ずる​こころ​だに​も​かはら​ねば、すて​たまは​ず​といふ​こころ​なり。

この​ほか​に​いろいろ​の法門ども​あり​と​いへども、ただ一念に弥陀を​たのむ衆生は​みな​ことごとく報土に往生す​べき​こと、ゆめゆめ疑ふ​こころ​ある​べから​ざる​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(7) 五障三従章

 それ、女人の身は、五障・三従とて、男に​まさり​て​かかる​ふかき罪の​ある​なり。この​ゆゑに一切の女人をば、十方に​まします諸仏も、わが​ちから​にて​は女人をばほとけ​に​なし​たまふ​こと、さらに​なし。

しかるに阿弥陀如来こそ、女人をば​われ​ひとり​たすけ​ん​といふ大願(第三十五願)を​おこし​て​すくひ​たまふ​なり。この​ほとけ​を​たのま​ずは、女人の身の​ほとけ​に成る​といふ​こと​ある​べから​ざる​なり。

これ​によりて、なにと​こころ​をも​もち、また​なにと阿弥陀ほとけ​を​たのみ​まゐらせ​て​ほとけ​に成る​べき​ぞ​なれば、なにのやうも​いら​ず、ただ​ふたごころなく一向に阿弥陀仏ばかり​を​たのみ​まゐらせ​て、後生たすけ​たまへ​と​おもふ​こころ​ひとつ​にて、やすく​ほとけ​に成る​べき​なり。

この​こころ​の露ちり​ほど​も疑なけれ​ば、かならず​かならず極楽へ​まゐり​て、うつくしき​ほとけ​と​は成る​べき​なり。

さて​この​うへ​に​こころう​べき​やう​は、ときどき念仏を申し​て、かかる​あさましき​われら​を​やすく​たすけ​まします阿弥陀如来の御恩を、御うれしさ​ありがたさ​を報ぜ​ん​ため​に、念仏申す​べき​ばかり​なり​と​こころう​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(8) 五劫思惟章

 それ、五劫思惟の本願といふ​も、兆載永劫の修行といふ​も、ただ​われら一切衆生を​あながちに​たすけ​たまは​んがため​の方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願(第十八願)を​たて​ましまし​て、「まよひ​の衆生の一念に阿弥陀仏を​たのみ​まゐらせ​て、もろもろ​の雑行を​すて​て一向一心に弥陀を​たのま​ん衆生を​たすけ​ずんば、われ正覚取ら​じ」と誓ひ​たまひ​て、南無阿弥陀仏と​なり​まします。これ​すなはち​われら​が​やすく極楽に往生す​べき​いはれ​なり​と​しる​べし。

されば南無阿弥陀仏の六字の​こころ​は、一切衆生の報土に往生す​べき​すがた​なり。この​ゆゑに南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏の​われら​を​たすけ​たまへ​る​こころ​なり。この​ゆゑに「南無」の二字は、衆生の弥陀如来に​むかひ​たてまつり​て後生たすけ​たまへ​と申す​こころ​なる​べし。かやうに弥陀を​たのむ人を​もらさ​ず​すくひ​たまふ​こころ​こそ、「阿弥陀仏」の四字の​こころ​にて​ありけり​と​おもふ​べき​ものなり。

これ​によりて、いかなる十悪・五逆、五障・三従の女人なり​とも、もろもろ​の雑行を​すて​て、ひたすら後生たすけ​たまへ​と​たのま​ん人をば、たとへば十人も​あれ百人も​あれ、みな​ことごとく​もらさ​ず​たすけ​たまふ​べし。この​おもむき​を疑なく信ぜ​ん輩は、真実の弥陀の浄土に往生す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(9) 一切聖教章

 当流の安心の一義といふは、ただ南無阿弥陀仏の六字の​こころ​なり。

たとへば南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏の​たすけ​たまへ​る​こころ​なる​がゆゑに、「南無」の二字は帰命の​こころ​なり。

「帰命」といふは、衆生の、もろもろ​の雑行を​すて​て、阿弥陀仏後生たすけ​たまへ​と一向に​たのみ​たてまつる​こころ​なる​べし。

この​ゆゑに衆生を​もらさ​ず弥陀如来の​よく​しろしめし​て、たすけ​まします​こころ​なり。これ​によりて、南無と​たのむ衆生を阿弥陀仏の​たすけ​まします道理なる​がゆゑに、南無阿弥陀仏の六字の​すがた​は、すなはち​われら一切衆生の平等に​たすかり​つる​すがた​なり​と​しら​るる​なり。

されば他力の信心を​うる​といふ​も、これ​しかしながら南無阿弥陀仏の六字の​こころ​なり。この​ゆゑに一切の聖教といふ​も、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜ​しめ​んがため​なり​といふ​こころ​なり​と​おもふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(10) 聖人一流章

 聖人(親鸞)一流の御勧化の​おもむき​は、信心をもつて本と​せ​られ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行を​なげすて​て、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の​かた​より往生は治定せしめ​たまふ。

その位を「一念発起入正定之聚」(論註・上意)とも釈し、その​うへ​の称名念仏は、如来わが往生を定め​たまひ​し御恩報尽の念仏と​こころう​べき​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

(11) 御正忌章

 そもそも、この御正忌の​うち​に参詣を​いたし、こころざし​を​はこび、報恩謝徳を​なさ​ん​と​おもひ​て、聖人の御まへ​に​まゐら​ん​ひと​の​なか​において、信心を獲得せしめ​たる​ひと​も​ある​べし、また不信心の​ともがら​も​ある​べし。もつてのほかの大事なり。

そのゆゑは、信心を決定せず​は今度の報土の往生は不定なり。されば不信の​ひと​も​すみやかに決定の​こころ​を​とる​べし。

人間は不定の​さかひ​なり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間に​あら​ん​より​も、常住の極楽を​ねがふ​べき​ものなり。されば当流には信心の​かた​をもつて先と​せ​られ​たる​その​ゆゑ​を​よく​しら​ずは、いたづらごと​なり。いそぎ​て安心決定し​て、浄土の往生を​ねがふ​べき​なり。

それ人間に流布して​みな人の​こころえ​たる​とほり​は、なにの分別も​なく口に​ただ称名ばかり​を​となへ​たら​ば、極楽に往生す​べき​やう​に​おもへ​り。それ​は​おほきに​おぼつかなき次第なり。

他力の信心を​とる​といふ​も、別の​こと​には​あらず。南無阿弥陀仏の六つ​の字の​こころ​を​よく​しり​たる​をもつて、信心決定す​と​は​いふ​なり。

そもそも、信心の体といふ​は、経(大経・下)に​いはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。

善導の​いはく、「南無といふは帰命、また​これ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふは​すなはち​その行」(玄義分)といへり。

「南無」といふ二字の​こころ​は、もろもろ​の雑行を​すて​て、疑なく一心一向に阿弥陀仏を​たのみ​たてまつる​こころ​なり。

さて「阿弥陀仏」といふ四つ​の字の​こころ​は、一心に弥陀を帰命する衆生を、やう​も​なく​たすけ​たまへ​る​いはれ​が、すなはち阿弥陀仏の四つ​の字の​こころ​なり。

されば南無阿弥陀仏の体を​かくのごとく​こころえわけ​たる​を、信心を​とる​と​は​いふ​なり。これ​すなはち他力の信心を​よく​こころえ​たる念仏の行者と​は申す​なり。

あなかしこ、あなかしこ。

(12) 御袖章

 当流の安心の​おもむき​を​くはしく​しら​ん​と​おもは​ん​ひと​は、あながちに智慧・才学も​いら​ず、ただ​わが身は罪ふかき​あさましき​もの​なり​と​おもひとり​て、かかる機まで​も​たすけ​たまへ​る​ほとけ​は阿弥陀如来ばかり​なり​と​しり​て、なにのやうも​なく、ひとすぢに​この阿弥陀ほとけ​の御袖に​ひしと​すがり​まゐらする​おもひ​を​なし​て、後生を​たすけ​たまへ​と​たのみ​まうせ​ば、この阿弥陀如来は​ふかく​よろこび​ましまし​て、その御身より八万四千の​おほきなる光明を放ち​て、その光明の​なか​に​その人を摂め入れ​て​おき​たまふ​べし。

されば​この​こころ​を経(観経)には、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と​は説か​れ​たり​と​こころう​べし。さては​わが身の​ほとけ​に成ら​んずる​こと​は、なにの​わづらひ​も​なし。

あら、殊勝の超世の本願や、ありがた​の弥陀如来の光明や。この光明の縁に​あひ​たてまつら​ずは、無始より​このかた​の無明業障の​おそろしき病の​なほる​といふ​こと​は、さらに​もつて​ある​べから​ざる​ものなり。

しかるに​この光明の縁に​もよほさ​れ​て、宿善の機ありて、他力信心といふ​こと​をば​いま​すでに​え​たり。これ​しかしながら、弥陀如来の御かた​より​さづけ​ましまし​たる信心と​は​やがて​あらはに​しら​れ​たり。

かるがゆゑに行者の​おこす​ところの信心に​あらず、弥陀如来他力の大信心といふ​こと​は、いま​こそ​あきらかに​しら​れ​たり。

これ​によりて、かたじけなく​も​ひとたび他力の信心を​え​たらん人は、みな弥陀如来の御恩を​おもひはかり​て、仏恩報謝の​ため​に​つね​に称名念仏を申し​たてまつる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(13) 無上甚深章

 それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能の​ある​べき​とも​おぼえ​ざる​に、この六字の名号の​うち​には無上甚深の功徳利益の広大なる​こと、さらに​その​きはまり​なき​ものなり。

されば信心を​とる​といふ​も、この六字の​うち​に​こもれ​り​と​しる​べし。さらに別に信心とて六字の​ほか​には​ある​べから​ざる​ものなり。

 そもそも、この「南無阿弥陀仏」の六字を善導釈して​いはく、「南無といふ​は帰命なり、また​これ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふ​は​その行なり。この義をもつて​の​ゆゑに​かならず往生する​こと​を得」(玄義分)といへり。

しかれば、この釈の​こころ​を​なにと​こころう​べき​ぞ​といふ​に、たとへば​われら​ごとき​の悪業煩悩の身なり​といふ​とも、一念阿弥陀仏に帰命せば、かならず​その機を​しろしめし​て​たすけ​たまふ​べし。

それ帰命といふは​すなはち​たすけ​たまへ​と申す​こころ​なり。されば一念に弥陀を​たのむ衆生に無上大利の功徳を​あたへ​たまふ​を、発願回向と​は申す​なり。

この発願回向の大善大功徳を​われら衆生に​あたへ​まします​ゆゑに、無始曠劫より​このかた​つくりおき​たる悪業煩悩をば一時に消滅し​たまふ​ゆゑに、われら​が煩悩悪業は​ことごとく​みな消え​て、すでに正定聚不退転なんど​いふ位に住す​と​は​いふ​なり。

この​ゆゑに、南無阿弥陀仏の六字の​すがた​は、われら​が極楽に往生す​べき​すがた​を​あらはせ​る​なり​と、いよいよ​しら​れ​たる​ものなり。されば安心といふ​も、信心といふ​も、この名号の六字の​こころ​を​よくよく​こころうる​もの​を、他力の大信心を​え​たる​ひと​と​は​なづけ​たり。

かかる殊勝の道理ある​がゆゑに、ふかく信じ​たてまつる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(14) 上臈下主章

 それ、一切の女人の身は、人しれ​ず罪の​ふかき​こと、上臈にも下主にも​よら​ぬ​あさましき身なり​と​おもふ​べし。

それ​につきて​は、なにとやうに弥陀を信ず​べき​ぞ​といふ​に、なにの​わづらひ​も​なく、阿弥陀如来を​ひしと​たのみ​まゐらせ​て、今度の一大事の後生たすけ​たまへ​と申さ​ん女人をば、あやまたず​たすけ​たまふ​べし。

さて​わが身の罪の​ふかき​こと​をば​うちすて​て、弥陀に​まかせ​まゐらせ​て、ただ一心に弥陀如来後生たすけ​たまへ​と​たのみ​まうさ​ば、その身を​よく​しろしめし​て​たすけ​たまふ​べき​こと、疑ある​べから​ず。たとへば十人あり​とも百人あり​とも、みな​ことごとく極楽に往生す​べき​こと、さらに​その疑ふ​こころ​つゆ​ほど​も​もつ​べから​ず。

かやうに信ぜ​ん女人は浄土に生る​べし。かくのごとく​やすき​こと​を、いま​まで信じ​たてまつら​ざる​こと​の​あさましさ​よ​と​おもひ​て、なほなほ​ふかく弥陀如来をたのみ​たてまつる​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(15) 弥陀如来本願章

 それ、弥陀如来の本願と申す​は、なにたる機の衆生を​たすけ​たまふ​ぞ。また​いかやうに弥陀を​たのみ、いかやうに心を​もち​て​たすかる​べき​やらん。

まづ機を​いへ​ば、十悪・五逆の罪人なり​とも、五障・三従の女人なり​とも、さらに​その罪業の深重にこころ​をば​かく​べから​ず。ただ他力の大信心一つ​にて、真実の極楽往生を​とぐ​べき​ものなり。

されば​その信心といふは、いかやうに​こころ​を​もち​て、弥陀をば​なにとやう​に​たのむ​べき​やらん。それ、信心を​とる​といふは、やう​も​なく、ただ​もろもろ​の雑行雑修自力なんど​いふ​わろき心を​ふりすて​て、一心に​ふかく弥陀に帰するこころ​の疑なき​を真実信心と​は申す​なり。

かくのごとく一心に​たのみ、一向に​たのむ衆生を、かたじけなく​も弥陀如来は​よく​しろしめし​て、この機を、光明を放ち​て​ひかり​の​なか​に摂め​おき​ましまし​て、極楽へ往生せしむ​べき​なり。これ​を念仏衆生を摂取し​たまふ​といふ​こと​なり。

この​うへには、たとひ一期の​あひだ申す念仏なり​とも、仏恩報謝の念仏と​こころう​べき​なり。

これ​を当流の信心を​よく​こころえ​たる念仏行者といふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(16) 白骨章

 それ、人間の浮生なる相を​つらつら観ずる​に、おほよそ​はかなき​もの​は​この世の始中終、まぼろし​の​ごとくなる一期なり。されば​いまだ万歳の人身を受け​たり​といふ​こと​を​きか​ず、一生過ぎ​やすし。

いま​に​いたり​て​たれ​か百年の形体を​たもつ​べき​や。われ​や先、人や先、今日とも​しら​ず、明日とも​しら​ず、おくれ​さきだつ人はもとの​しづく​すゑ​の露より​もしげしといへり。されば朝には紅顔ありて夕には白骨と​なれる身なり。

すでに無常の風きたり​ぬれ​ば、すなはちふたつ​の​まなこ​たちまちに閉ぢ、ひとつ​の息ながく​たえ​ぬれ​ば、紅顔むなしく変じ​て桃李の​よそほひ​を失ひ​ぬる​とき​は、六親眷属あつまり​て​なげき​かなしめども、さらに​その甲斐ある​べから​ず。

さて​しも​ある​べき​こと​なら​ね​ば​とて、野外に​おくり​て夜半の煙と​なしはて​ぬれ​ば、ただ白骨のみ​ぞ​のこれ​り。あはれ​といふ​も​なかなか​おろかなり。

されば人間の​はかなき​こと​は老少不定のさかひ​なれば、たれ​の人も​はやく後生の一大事を心に​かけ​て、阿弥陀仏を​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、念仏申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(17) 一切女人章

 それ、一切の女人の身は、後生を大事に​おもひ、仏法を​たふとく​おもふ心あらば、なにのやうも​なく、阿弥陀如来を​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、もろもろ​の雑行を​ふりすて​て、一心に後生を御たすけ候へ​と​ひしと​たのま​ん女人は、かならず極楽に往生す​べき​こと、さらに疑ある​べから​ず。

かやうにおもひとり​て​の​のち​は、ひたすら弥陀如来の​やすく御たすけ​に​あづかる​べき​こと​の​ありがたさ、また​たふとさ​よ​と​ふかく信じ​て、ね​ても​さめ​ても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申す​べき​ばかり​なり。これ​を信心とり​たる念仏者と​は申す​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(18) 当流聖人章

 当流聖人(親鸞)の​すすめ​まします安心といふは、なにのやうも​なく、まづ​わが身の​あさましき罪の​ふかき​こと​をば​うちすて​て、もろもろ​の雑行雑修の​こころ​をさしおき​て、一心に阿弥陀如来後生たすけ​たまへ​と、一念に​ふかく​たのみ​たてまつら​ん​もの​をば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みな​もらさ​ず​たすけ​たまふ​べし。

これ​さらに疑ふ​べから​ざる​ものなり。かやうに​よく​こころえ​たる人を信心の行者といふ​なり。

さて​この​うへには、なほ​わが身の後生の​たすから​ん​こと​の​うれしさ​を​おもひいださ​ん​とき​は、ね​ても​さめ​ても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と​となふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(19) 末代悪人章

 それ、末代の悪人・女人たらん輩は、みなみな心を一つ​にして阿弥陀仏を​ふかく​たのみ​たてまつる​べし。その​ほか​には、いづれの法を信ず​といふ​とも、後生の​たすかる​といふ​こと​ゆめゆめ​ある​べから​ず。しかれば、阿弥陀如来をば​なにとやうに​たのみ、後生をば​ねがふ​べき​ぞ​といふ​に、なにの​わづらひ​も​なく、ただ一心に阿弥陀如来を​ひしと​たのみ、後生たすけ​たまへ​と​ふかく​たのみ​まうさ​ん人をば、かならず御たすけ​ある​べき​こと、さらさら疑ある​べから​ざる​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(20) 女人成仏章

 それ、一切の女人たらん身は、弥陀如来を​ひしと​たのみ、後生たすけ​たまへ​と申さ​ん女人をば、かならず御たすけ​ある​べし。さるほどに、諸仏の​すて​たまへ​る女人を、阿弥陀如来ひとり、われ​たすけ​ずんば​また​いづれの仏の​たすけ​たまは​ん​ぞ​と​おぼしめし​て、無上の大願を​おこし​て、われ諸仏に​すぐれ​て女人を​たすけ​ん​とて、五劫が​あひだ思惟し、永劫が​あひだ修行し​て、世に​こえ​たる大願を​おこし​て、女人成仏といへる殊勝の願(第三十五願)を​おこし​まします弥陀なり。

この​ゆゑに​ふかく弥陀を​たのみ、後生たすけ​たまへ​と申さ​ん女人は、みなみな極楽に往生す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(21) 経釈明文

 当流の安心といふ​は、なにのやうも​なく、もろもろ​の雑行雑修の​こころ​を​すて​て、わが身は​いかなる罪業ふかく​とも、それ​をば仏に​まかせ​まゐらせ​て、ただ一心に阿弥陀如来を一念に​ふかく​たのみ​まゐらせ​て、御たすけ候へ​と申さ​ん衆生をば、十人は十人百人は百人ながら、ことごとく​たすけ​たまふ​べし。これさらに疑ふ​こころ​つゆ​ほど​も​ある​べから​ず。

かやうに信ずる機を安心を​よく決定せしめ​たる人と​は​いふ​なり。この​こころ​を​こそ経釈の明文には、「一念発起住正定聚」とも「平生業成の行人」とも​いふ​なり。

されば​ただ弥陀仏を一念に​ふかく​たのみ​たてまつる​こと肝要なり​と​こころう​べし。この​ほか​には、弥陀如来の​われら​を​やすく​たすけ​まします御恩の​ふかき​こと​を​おもひ​て、行住坐臥に​つね​に念仏を申す​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

(22) 当流勧化章

 そもそも、当流勧化の​おもむき​を​くはしく​しり​て、極楽に往生せ​ん​と​おもは​ん​ひと​は、まづ他力の信心といふ​こと​を存知す​べき​なり。

それ、他力の信心といふは​なにの要ぞ​と​いへ​ば、かかる​あさましき​われら​ごとき​の凡夫の身が、たやすく浄土へ​まゐる​べき用意なり。

その他力の信心の​すがた​といふは​いかなる​こと​ぞ​と​いへ​ば、なにのやうも​なく、ただ​ひとすぢに阿弥陀如来を一心一向に​たのみ​たてまつり​て、たすけ​たまへ​と​おもふ​こころ​の一念おこる​とき、かならず弥陀如来の摂取の光明を放ち​て、その身の娑婆に​あら​ん​ほど​は、この光明の​なか​に摂め​おき​まします​なり。これ​すなはち​われら​が往生の定まり​たるすがた​なり。

されば南無阿弥陀仏と申す体は、われら​が他力の信心を​え​たる​すがた​なり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏の​いはれ​を​あらはせ​る​すがた​なり​と​こころう​べき​なり。されば​われら​が​いま​の他力の信心ひとつ​を​とる​によりて、極楽に​やすく往生す​べき​こと​の、さらに​なにの疑も​なし。

あら、殊勝の弥陀如来の本願や。この​ありがたさ​の弥陀の御恩をば、いかが​して報じ​たてまつる​べき​ぞ​なれば、ただ​ね​ても​おき​ても南無阿弥陀仏と​となへ​て、かの弥陀如来の仏恩を報ず​べき​なり。

されば南無阿弥陀仏と​となふる​こころ​は​いかん​ぞ​なれば、阿弥陀如来の御たすけ​あり​つる​ありがたさ​たふとさ​よ​と​おもひ​て、それ​を​よろこび​まうす​こころ​なり​と​おもふ​べき​ものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

釈証如(花押)