口伝鈔

口伝鈔

 本願寺の鸞聖人(親鸞)、如信上人に対しましまして、をりをりの御物語の条々。

一 あるときの仰せにのたまはく、黒谷聖人 [源空] 浄土真宗御興行さかりなりしとき、上一人よりはじめて偏執のやから一天にみてり。これによりて、かの立宗の義を破せられんがために、禁中 [時代不審、もし土御門院の御宇か] にして七日の御逆修をはじめおこなはるるついでに、安居院の法印聖覚を唱導として、聖道の諸宗のほかに別して浄土宗あるべからざるよし、これを申しみだらるべきよし、勅請あり。しかりといへども、勅喚に応じながら、師範空聖人(源空)の本懐さえぎりて覚悟のあひだ、申しみだらるるにおよばず、あまつさへ聖道のほかに浄土の一宗興じて、凡夫直入の大益あるべきよしを、ついでをもつてことに申したてられけり。
 ここに公廷にしてその沙汰あるよし、聖人 [源空] きこしめすについて、もしこのとき申しやぶられなば、浄土の宗義なんぞ立せんや。よりて安居院の坊へ仰せつかはされんとす。たれびとたるべきぞやのよし、その仁を内々えらばる。ときに善信御房(親鸞)その仁たるべきよし、聖人さしまうさる。同朋のなかに、またもつともしかるべきよし、同心に挙しまうされけり。そのとき上人 [善信] かたく御辞退、再三におよぶ。しかれども、貴命のがれがたきによりて、使節として上人 [善信] 安居院の房へむかはしめたまはんとす。ときに縡もつとも重事なり、すべからく人をあひそへらるべきよし、申さしめたまふ。もつともしかるべしとて、西意善綽御房をさしそへらる。
 両人、安居院の房にいたりて案内せらる。をりふし沐浴と[云々]。「御使ひ、たれびとぞや」と問はる。「善信御房入来あり」と[云々]。そのときおほきに驚きて、「この人の御使ひたること邂逅なり。おぼろげのことにあらじ」とて、いそぎ温室より出でて対面、かみくだんの子細をつぶさに聖人 [源空] の仰せとて演説。法印(聖覚)申されていはく、「このこと年来の御宿念たり。聖覚いかでか疎簡を存ぜん。たとひ勅定たりといふとも、師範の命をやぶるべからず。よりて仰せをかうぶらざるさきに、聖道・浄土の二門を混乱せず、あまつさへ、浄土の宗義を申したてはんべりき。これしかしながら、王命よりも師孝をおもくするがゆゑなり。御こころやすかるべきよし、申さしめたまふべし」と[云々]。このあひだの一座の委曲、つぶさにするにいとまあらず。
 すなはち上人 [善信] 御帰参ありて、公廷一座の唱導として、法印重説のむねを聖人 [源空] の御前にて一言もおとしましまさず、分明にまた一座宣説しまうさる。そのときさしそへらるる善綽御房に対して、「もし紕繆ありや」と、聖人 [源空] 仰せらるるところに、善綽御房申されていはく、「西意、二座の説法聴聞仕うまつりをはりぬ、言語のおよぶところにあらず」と[云々]。三百八十余人の御門侶のなかに、その上足といひ、その器用といひ、すでに清選にあたりて使節をつとめましますところに、西意また証明の発言におよぶ。おそらくは多宝証明の往事にあひおなじきものをや。このこと、大師聖人(源空)の御時、随分の面目たりき。
 説導も涯分いにしへにはづべからずといへども、人師・戒師停止すべきよし、聖人の御前にして誓言発願をはりき。これによりて檀越をへつらはず、その請に赴かずと[云々]。そのころ七条の源三中務丞が遺孫、次郎入道浄信、土木の大功ををへて一宇の伽藍を造立して、供養のために唱導に赴きましますべきよしを屈請しまうすといへども、上人 [善信] つひにもつて固辞しおほせられて、かみくだんのおもむきをかたりおほせらる。そのとき上人 [善信] 権者にましますといへども、濁乱の凡夫に同じて、不浄説法のとがおもきことを示しましますものなり。

一 光明・名号の因縁といふ事。
 十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、『大経』のなかに説くがごとく、過去の宿善あつきものは、今生にこの教にあうて、まさに信楽す。宿福なきものは、この教にあふといへども、念持せざればまたあはざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて宿善の有無あきらかにしりぬべし。
 しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあふゆゑなり。もし光明の縁もよほさずは、報土往生の真因たる名号の因をうべからず。
 いふこころは、十方世界を照曜する無礙光遍照の明朗なるに照らされて、無明沈没の煩惑漸々にとらけて、涅槃の真因たる信心の根芽わづかにきざすとき、報土得生の定聚の位に住す。すなはちこの位を、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」(観経)と等説けり。また光明寺(善導)の御釈(礼讃 六五九)には、「以光明名号 摂化十方 但使信心求念」とものたまへり。
 しかれば、往生の信心の定まることはわれらが智分にあらず、光明の縁にもよほし育てられて名号信知の報土の因をうと、しるべしとなり。これを他力といふなり。

一 無礙の光曜によりて無明の闇夜はるる事。
 本願寺の上人 [親鸞] あるとき門弟に示してのたまはく、「つねに人のしるところ、夜明けて日輪は出づや、日輪や出でて夜明くや、両篇、なんだちいかんがしる」と[云々]。うちまかせて人みなおもへらく、「夜明けてのち日出づ」と答へまうす。上人のたまはく、「しからざるなり」と。「日出でてまさに夜明くるものなり。そのゆゑは、日輪まさに須弥の半腹を行度するとき、他州のひかりちかづくについて、この南州あきらかになれば、日出でて夜は明くといふなり。これはこれ、たとへなり。無礙光の日輪照触せざるときは、永々昏闇の無明の夜明けず。しかるにいま宿善ときいたりて、不断・難思の日輪、貪瞋の半腹に行度するとき、無明やうやく闇はれて、信心たちまちにあきらかなり。しかりといへども、貪瞋の雲・霧かりに覆ふによりて、炎王・清浄等の日光あらはれず。これによりて、〈煩悩障眼雖不能見〉(往生要集・中 九五六)とも釈し、〈已能雖破無明闇〉(正信偈)と等のたまへり。日輪の他力いたらざるほどは、われと無明を破すといふことあるべからず。無明を破せずは、また出離その期あるべからず。他力をもつて無明を破するがゆゑに、日出でてのち夜明くといふなり」。これさきの光明・名号の義にこころおなじといへども、自力・他力を分別せられんために、法譬を合して仰せごとありきと[云々]。

一 善悪二業の事。
 上人 [親鸞] 仰せにのたまはく、「某はまつたく善もほしからず、また悪もおそれなし。善のほしからざるゆゑは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆゑに。悪のおそれなきといふは、弥陀の本願をさまたぐる悪なきがゆゑに。しかるに世の人みなおもへらく、善根を具足せずんば、たとひ念仏すといふとも往生すべからずと。またたとひ念仏すといふとも、悪業深重ならば往生すべからずと。このおもひ、ともにはなはだしかるべからず。もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもひのままにそなへて、生死を出離し浄土に往生すべくは、あながちに本願を信知せずとも、なにの不足かあらん。そのこといづれもこころにまかせざるによりて、悪業をばおそれながらすなはちおこし、善根をばあらませどもうることあたはざる凡夫なり。かかるあさましき三毒具足の悪機として、われと出離にみちたえたる機を摂取したまはんための五劫思惟の本願なるがゆゑに、ただ仰ぎて仏智を信受するにしかず。しかるに善機の念仏するをば決定往生とおもひ、悪人の念仏するをば往生不定と疑ふ。本願の規模ここに失し、自身の悪機たることをしらざるになる。おほよそ凡夫引接の無縁の慈悲をもつて、修因感果したまへる別願所成の報仏報土へ五乗ひとしく入ることは、諸仏いまだおこさざる超世不思議の願なれば、たとひ読誦大乗・解第一義の善機たりといふとも、おのれが生得の善ばかりをもつてその土に往生することかなふべからず。また悪業はもとよりもろもろの仏法にすてらるるところなれば、悪機また悪をつのりとしてその土へのぞむべきにあらず。
 しかれば、機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。さればこの善悪の機のうへにたもつところの弥陀の仏智をつのりとせんよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべきや。さればこそ、悪もおそろしからずともいひ、善もほしからずとはいへ」。
 ここをもつて光明寺の大師(善導)、「言弘願者 如大経説 一切善悪 凡夫得生者 莫不皆乗 阿弥陀仏 大願業力 為増上縁也」(玄義分 三〇一)とのたまへり。文のこころは、「弘願といふは『大経』の説のごとし。一切善悪凡夫の生るることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗りて増上縁とせざるはなし」となり。されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ悪をおそる、宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし。ただ善悪のふたつをば過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて機のよきあしきに目をかけて往生の得否を定むべからずとなり。
 これによりて、あるときの仰せにのたまはく、「なんだち、念仏するよりなほ往生にたやすきみちあり、これを授くべし」と。「人を千人殺害したらばやすく往生すべし、おのおのこのをしへにしたがへ、いかん」と。ときにある一人申していはく、「某においては千人まではおもひよらず、一人たりといふとも殺害しつべき心ちせず」と[云々]。上人かさねてのたまはく、「なんぢわがをしへを日ごろそむかざるうへは、いまをしふるところにおいてさだめて疑をなさざるか。しかるに一人なりとも殺害しつべき心ちせずといふは、過去にそのたねなきによりてなり。もし過去にそのたねあらば、たとひ殺生罪を犯すべからず、犯さばすなはち往生をとぐべからずといましむといふとも、たねにもよほされてかならず殺罪をつくるべきなり。善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり。しかればまつたく、往生においては善もたすけとならず、悪もさはりとならずといふこと、これをもつて准知すべし」。

一 自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事。
 たとひ万行諸善の法財を修したくはふといふとも、進道の資糧となるべからず。ゆゑは六賊知聞して侵奪するがゆゑに。念仏においては、「すでに行者の善にあらず、行者の行にあらず」と等釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず。まつたう弥陀の仏智なるがゆゑに、諸仏護念の益によりて六賊これををかすにあたはざるがゆゑに、出離の資糧となり、報土の正因となるなり、しるべし。

一 弟子・同行をあらそひ、本尊・聖教を奪ひとること、しかるべからざるよしの事。
 常陸国新堤の信楽坊、聖人 [親鸞] の御前にて、法文の義理ゆゑに、仰せをもちゐまうさざるによりて、突鼻にあづかりて本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房申されていはく、「信楽房の、御門弟の儀をはなれて下国のうへは、あづけわたさるるところの本尊・聖教をめしかへさるべくや候ふらん」と。「なかんづくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おほし。御門下をはなれたてまつるうへは、さだめて仰崇の儀なからんか」と[云々]。聖人の仰せにいはく、「本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、まつたく親鸞が授けたるにあらず。当世たがひに違逆のとき、本尊・聖教をとりかへし、つくるところの房号をとりかへし、信心をとりかへすなんどいふこと、国中に繁昌と[云々]。かへすがへすしかるべからず。本尊・聖教は衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて他の門室に入るといふとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は総じて流通物なればなり。しかるに親鸞が名字ののりたるを、〈法師にくければ袈裟さへ〉の風情にいとひおもふによりて、たとひかの聖教を山野にすつといふとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくはれてことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかへすといふ義あるべからざるなり。よくよくこころうべし」と仰せありき。

一 凡夫往生の事。
 おほよそ凡夫の報土に入ることをば、諸宗ゆるさざるところなり。しかるに浄土真宗において善導家の御こころ、安養浄土をば報仏報土と定め、入るところの機をばさかりに凡夫と談ず。
 このこと性相の耳を驚かすことなり。さればかの性相に封ぜられて、ひとのこころおほく迷ひて、この義勢におきて疑をいだく。その疑のきざすところは、かならずしも弥陀超世の悲願を、さることあらじと疑ひたてまつるまではなけれども、わが身の分を卑下して、そのことわりをわきまへしりて、聖道門よりは凡夫報土に入るべからざる道理をうかべて、その比量をもつていまの真宗を疑ふまでの人はまれなれども、聖道の性相世に流布するを、なにとなく耳にふれならひたるゆゑか、おほくこれにふせがれて真宗別途の他力を疑ふこと、かつは無明に痴惑せられたるゆゑなり、かつは明師にあはざるがいたすところなり。
 そのゆゑは、「浄土宗のこころ、もと凡夫のためにして聖人のためにあらず」と[云々]。しかれば、貪欲もふかく、瞋恚もたけく、愚痴もさかりならんにつけても、今度の順次の往生は、仏語に虚妄なければいよいよ必定とおもふべし。あやまつてわがこころの三毒もいたく興盛ならず、善心しきりにおこらば、往生不定のおもひもあるべし。そのゆゑは、凡夫のための願と仏説分明なり。しかるにわがこころ凡夫げもなくは、さてはわれ凡夫にあらねばこの願にもれやせんとおもふべきによりてなり。しかるに、われらが心すでに貪瞋痴の三毒みなおなじく具足す。これがためとておこさるる願なれば、往生その機として必定なるべしとなり。かくこころえつれば、こころのわろきにつけても、機の卑劣なるにつけても、往生せずはあるべからざる道理・文証勿論なり。いづかたよりか凡夫の往生もれてむなしからんや。しかればすなはち、「五劫の思惟も兆載の修行も、ただ親鸞一人がためなり」と仰せごとありき。
 わたくしにいはく、これをもつてかれを案ずるに、この条、祖師聖人(親鸞)の御ことにかぎるべからず。末世のわれら、みな凡夫たらんうへは、またもつて往生おなじかるべしとしるべし。

一 一切経御校合の事。
 最明寺の禅門の父修理亮時氏、政徳をもつぱらにせしころ、一切経を書写せられき。これを校合のために智者・学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左衛門入道 [実名を知らず] ならびに屋戸やの入道 [実名を知らず] 両大名に仰せつけてたづねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人(親鸞)をたづねいだしたてまつりき。[もし常陸国笠間郡稲田郷に御経回のころか] 聖人その請に応じましまして、一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連々昵近したてまつるに、あるとき盃酌のみぎりにして種々の珍物をととのへて、諸大名面々、数献の沙汰におよぶ。聖人別して勇猛精進の僧の威儀をただしくしましますことなければ、ただ世俗の入道・俗人等におなじき御振舞なり。よつて魚鳥の肉味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず、これをきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまゐるとき、最明寺の禅門、ときに開寿殿とて九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられていはく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟を脱ぎてこれを食す。善信御房(親鸞)、いかなれば袈裟を御着用ありながら食しましますぞや、これ不審」と[云々]。聖人仰せられていはく、「あの入道達はつねにこれをもちゐるについて、これを食するときは袈裟を脱ぐべきことと覚悟のあひだ、脱ぎてこれを食するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おほけていそぎ食べんとするにつきて忘却してこれを脱がず」と[云々]。開寿殿、また申されていはく、「この御答、御偽言なり。さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればとて御蔑如にこそ」とて退きぬ。
 またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また開寿殿、さきのごとくにたづねまうさる。聖人また御忘却と答へまします。そのとき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら、幼少の愚意、深義をわきまへしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげてただ実義を述成あるべし」と、再三こざかしくのぞみまうされけり。そのとき聖人のがれがたくして、幼童に対して示しましましていはく、「まれに人身をうけて生命をほろぼし肉味を貪ずること、はなはだしかるべからざることなり。されば如来の制戒にもこのことことにさかんなり。しかれども、末法濁世の今の時の衆生、無戒のときなれば、たもつものもなく破するものもなし。これによりて剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきがゆゑに、これらを食す。とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむるやうにこそありたく候へ。しかるにわれ名字を釈氏にかるといへども、こころ俗塵に染みて智もなく徳もなし。なにによりてかかの有情をすくふべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり。これを着用しながらかれを食せば、袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、これを着しながらかれを食するものなり。冥衆の照覧を仰ぎて人倫の所見をはばからざること、かつは無慚無愧のはなはだしきに似たり。しかれども、所存かくのごとし」と[云々]。このとき開寿殿、幼少の身として感気おもてにあらはれ、随喜もつともふかし。「一天四海を治むべき棟梁、その器用はをさなきより、やうあるものなり」と仰せごとありき。

 康永三歳甲申孟夏上旬七日、この巻これを書写しをはりぬ。
                       桑門宗昭七十五

一 あるとき鸞上人(親鸞)、黒谷の聖人(源空)の禅房へ御参ありけるに、修行者一人、御ともの下部に案内していはく、「京中に八宗兼学の名誉まします智慧第一の聖人の貴坊やしらせたまへる」といふ。このやうを御ともの下部、御車のうちへ申す。鸞上人のたまはく、「智慧第一の聖人の御房とたづぬるは、もし源空聖人の御ことか、しからばわれこそただいまかの御坊へ参ずる身にてはんべれ、いかん」。修行者申していはく、「そのことに候ふ。源空聖人の御ことをたづねまうすなり」と。鸞上人のたまはく、「さらば先達すべし。この車に乗らるべし」と。修行者おほきに辞しまうして、「そのおそれあり。かなふべからず」と[云々]。鸞上人のたまはく、「求法のためならば、あながちに隔心あるべからず。釈門のむつび、なにかくるしかるべき。ただ乗らるべし」と。再三辞退申すといへども、御とものものに、「修行者かくるところのかご負をかくべし」と御下知ありて、御車にひき乗せらる。
 しかうして、かの御坊に御参ありて空聖人(源空)の御前にて、鸞上人、「鎮西のものと申して修行者一人、求法のためとて御房をたづねまうしてはんべりつるを、路次よりあひともなひてまゐりて候ふ。召さるべきをや」と[云々]。空聖人、「こなたへ招請あるべし」と仰せあり。よりて鸞上人、かの修行者を御引導ありて御前へ召さる。そのとき空聖人、かの修行者をにらみましますに、修行者また聖人(源空)をにらみかへしたてまつる。かくてややひさしくたがひに言説なし。しばらくありて空聖人仰せられてのたまはく、「御坊はいづこのひとぞ、またなにの用ありて来れるぞや」と。修行者申していはく、「われはこれ鎮西のものなり。求法のために花洛にのぼる。よつて推参つかまつるものなり」と。そのとき聖人、「求法とはいづれの法を求むるぞや」と。修行者申していはく、「念仏の法を求む」と。聖人のたまはく、「念仏は唐土(中国)の念仏か、日本の念仏か」と。修行者しばらく停滞す。しかれども、きと案じて、「唐土の念仏を求むるなり」と[云々]。聖人のたまはく、「さては善導和尚の御弟子にこそあるなれ」と。そのとき修行者、ふところよりつま硯をとり出して二字を書きてささぐ。鎮西の聖光坊これなり。
 この聖光ひじり、鎮西にしておもへらく、「みやこに世もつて智慧第一と称する聖人おはすなり。なにごとかははんべるべき。われすみやかに上洛してかの聖人と問答すべし。そのとき、もし智慧すぐれてわれにかさまば、われまさに弟子となるべし。また問答に勝たば、かれを弟子とすべし」と。しかるにこの慢心を空聖人、権者として御覧ぜられければ、いまのごとくに御問答ありけるにや。かのひじりわが弟子とすべきこと、橋たててもおよびがたかりけりと、慢幢たちまちにくだけければ、師資の礼をなして、たちどころに二字をささげけり。
 両三年ののち、あるときかご負かきおいて聖光坊、聖人の御前へまゐりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて鎮西下向つかまつるべし。いとまたまはるべし」と申す。すなはち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまはく、「あたら修学者が髻をきらでゆくはとよ」と。その御声はるかに耳に入りけるにや、たちかへりて申していはく、「聖光は出家得度してとしひさし、しかるに髻をきらぬよし仰せをかうぶる、もつとも不審。この仰せ、耳にとまるによりてみちをゆくにあたはず。ことの次第うけたまはりわきまへんがためにかへりまゐれり」と[云々]。
 そのとき聖人のたまはく、「法師には三つの髻あり。いはゆる勝他・利養・名聞これなり。この三箇年のあひだ源空がのぶるところの法文をしるし集めて随身す。本国にくだりて人をしへたげんとす、これ勝他にあらずや。それにつけてよき学生といはれんとおもふ、これ名聞をねがふところなり。これによりて檀越をのぞむこと、詮ずるところ利養のためなり。この三つの髻を剃りすてずは、法師といひがたし。よつて、さ申しつるなり」と[云々]。
 そのとき聖光房、改悔の色をあらはして、負の底よりをさむるところの抄物どもをとり出でて、みなやきすてて、またいとまを申して出でぬ。しかれども、その余残ありけるにや、つひに仰せをさしおきて、口伝をそむきたる諸行往生の自義を骨張して自障障他すること、祖師(源空)の遺訓をわすれ、諸天の冥慮をはばからざるにやとおぼゆ。かなしむべし、おそるべし。しかれば、かの聖光坊は、最初に鸞上人の御引導によりて、黒谷の門下にのぞめる人なり。末学これをしるべし。

一 十八の願につきたる御釈の事。
 「彼仏今現在成仏」(礼讃 七一一)等。この御釈に世流布の本には「在世」とあり。しかるに黒谷(源空)・本願寺(親鸞)両師ともに、この「世」の字を略して引かれたり。
 わたくしにそのゆゑを案ずるに、略せらるる条、もつともそのゆゑあるか。まづ『大乗同性経』(意)にいはく、、「浄土中成仏 悉是報身 穢土中成仏 悉是化身」[文]。この文を依憑として、大師(善導)、報身・報土の義を成ぜらるるに、この「世」の字をおきてはすこぶる義理浅近なるべしとおぼしめさるるか。そのゆゑは浄土中成仏の弥陀如来につきて、「いま世にましまして」とこの文を訓ぜば、いますこし義理いはれざるか。極楽世界とも釈せらるるうへは、「世」の字いかでか報身・報土の義にのくべきとおぼゆる篇もあれども、さればそれも自宗におきて浅近のかたを釈せらるるときの一往の義なり。
 おほよそ諸宗におきて、おほくはこの字を浅近のときもちゐつけたり。まづ『倶舎論』の性相[「世間品」] に「安立器世間風輪最居下」と等判ぜり。器世間を建立するときこの字をもちゐる条、分明なり。世親菩薩(天親)の所造もつともゆゑあるべきをや勿論なり。しかるにわが真宗にいたりては善導和尚の御こころによるに、すでに報身・報土の廃立をもつて規模とす。しかれば、「観彼世界相 勝過三界道」(浄土論 二九)の論文をもつておもふに、三界の道に勝過せる報土にして正覚を成ずる弥陀如来のことをいふとき、世間浅近の事にもちゐならひたる「世」の字をもつて、いかでか義を成ぜらるべきや。
 この道理によりて、いまの一字を略せらるるかとみえたり。されば「彼仏今現在成仏」とつづけてこれを訓ずるに、「かの仏いま現在して成仏したまへり」と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といひ、文点といひ、この一字もつともあまれるか。
 この道理をもつて、両祖の御相伝を推験して、八宗兼学の了然上人 [ことに三論宗] にいまの料簡を談話せしに、「浄土真宗におきてこの一義相伝なしといへども、この料簡もつとも同ずべし」と[云々]。

一 助業をなほかたはらにしまします事。
 鸞聖人(親鸞)東国に御経回のとき、御風気とて三日三夜ひきかづきて水漿不通しましますことありき。つねのときのごとく御腰膝をうたせらるることもなし。御煎物などいふこともなし。御看病の人をちかくよせらるることもなし。三箇日と申すとき、「ああ、いまはさてあらん」と仰せごとありて、御起居御平復もとのごとし。
 そのとき恵信御房 [男女六人の君達の御母儀] たづねまうされていはく、「御風気とて両三日御寝のところに、〈いまはさてあらん〉と仰せごとあること、なにごとぞや」と。聖人示しましましてのたまはく、「われこの三箇年のあひだ、浄土の三部経をよむことおこたらず。おなじくは千部よまばやとおもひてこれをはじむるところに、またおもふやう、〈自信教人信 難中転更難〉(礼讃 六七六)とみえたれば、みづからも信じ、人を教へても信ぜしむるほかはなにのつとめかあらんに、この三部経の部数をつむこと、われながらこころえられずとおもひなりて、このことをよくよく案じさだめん料に、そのあひだはひきかづきて臥しぬ。つねの病にあらざるほどに、〈いまはさてあらん〉といひつるなり」と仰せごとありき。
 わたくしにいはく、つらつらこのことを案ずるに、ひとの夢想の告げのごとく、観音の垂迹として一向専念の一義を御弘通あること掲焉なり。

一 聖人(親鸞)本地観音の事。
 下野国さぬきといふところにて、恵信御房の御夢想にいはく、「堂供養するとおぼしきところあり。試楽ゆゆしく厳重にとりおこなへるみぎりなり。ここに虚空に神社の鳥居のやうなるすがたにて木をよこたへたり。それに絵像の本尊二鋪かかりたり。一鋪は形体ましまさず、ただ金色の光明のみなり。いま一鋪はただしくその尊形あらはれまします。その形体ましまさざる本尊を、人ありてまた人に、〈あれはなに仏にてましますぞや〉と問ふ。人答へていはく、〈あれこそ大勢至菩薩にてましませ、すなはち源空聖人の御ことなり〉と[云々]。また問うていはく、〈いま一鋪の尊形あらはれたまふを、あれはまたなに仏ぞや〉と。人答へていはく、〈あれは大悲観世音菩薩にてましますなり。あれこそ善信御房(親鸞)にてわたらせたまへ〉と申すとおぼえて、夢さめをはりぬ」と[云々]。
 このことを聖人にかたりまうさるるところに、「そのことなり。大勢至菩薩は智慧をつかさどりまします菩薩なり。すなはち智慧は光明とあらはるるによりて、ひかりばかりにてその形体はましまさざるなり。先師源空聖人、勢至菩薩の化身にましますといふこと、世もつて人の口にあり」と仰せごとありき。鸞上人(親鸞)の御本地のやうは、御ぬしに申さんこと、わが身としては、はばかりあれば申しいだすにおよばず。かの夢想ののちは、心中に渇仰のおもひふかくして年月を送るばかりなり。すでに御帰京ありて、御入滅のよしうけたまはるについて、「わが父はかかる権者にてましましけると、しりたてまつられんがためにしるしまうすなり」とて、越後の国府よりとどめおきまうさるる恵信御房の御文、弘長三年春のころ、御むすめ覚信御房へ進ぜらる。
 わたくしにいはく、源空聖人、勢至菩薩の化現として本師弥陀の教文を和国に弘興しまします。親鸞上人、観世音菩薩の垂迹として、ともにおなじく無礙光如来の智炬を本朝にかがやかさんために、師弟となりて口決相承しましますこと、あきらかなり。仰ぐべし、たふとむべし。

一 蓮位房 [聖人(親鸞)常随の御門弟、真宗稽古の学者、俗姓源三位頼政卿順孫] 夢想の記。
 建長八歳 [丙辰] 二月九日の夜寅時、釈蓮位、夢に聖徳太子の勅命をかうぶる。皇太子の尊容を示現して、釈親鸞法師にむかはしめましまして、文を誦して親鸞聖人を敬礼しまします。その告命の文にのたまはく、「敬礼大慈阿弥陀仏 為妙教流通来生者 五濁悪時悪世界中 決定即得無上覚也」[文]。この文のこころは、「大慈阿弥陀仏を敬ひ礼したてまつるなり。妙なる教流通のために来生せるものなり。五濁悪時・悪世界のなかにして、決定してすなはち無上覚を得しめたるなり」といへり。蓮位、ことに皇太子を恭敬し尊重したてまつるとおぼえて、夢さめてすなはちこの文を書きをはりぬ。
 わたくしにいはく、この夢想の記をひらくに、祖師聖人(親鸞)、あるいは観音の垂迹とあらはれ、あるいは本師弥陀の来現と示しましますこと、あきらかなり。弥陀・観音一体異名、ともに相違あるべからず。しかれば、かの御相承、その述義を口決の末流、他にことなるべき条、傍若無人といひつべし。しるべし。

一 体失・不体失の往生の事。
 上人 [親鸞] のたまはく、先師聖人 [源空] の御時、はかりなき法文諍論のことありき。善信(親鸞)は、「念仏往生の機は体失せずして往生をとぐ」といふ。小坂の善恵房 [証空] は、「体失してこそ往生はとぐれ」と[云々]。この相論なり。
 ここに同朋のなかに勝劣を分別せんがために、あまた大師聖人 [源空] の御前に参じて申されていはく、「善信御房と善恵御房と法文諍論のことはんべり」とて、かみくだんのおもむきを一々にのべまうさるるところに、大師聖人 [源空] の仰せにのたまはく、善信房の体失せずして往生すとたてらるる条は、やがて「さぞ」と御証判あり。善恵房の体失してこそ往生はとぐれとたてらるるも、またやがて「さぞ」と仰せあり。
 これによりて両方の是非わきまへがたきあひだ、そのむねを衆中よりかさねてたづねまうすところに、仰せにのたまはく、「善恵房の体失して往生するよしのぶるは、諸行往生の機なればなり。善信房の体失せずして往生するよし申さるるは、念仏往生の機なればなり。〈如来教法元無二〉(法事讃・下 五四九)なれども、〈正為衆生機不同〉(同・下)なれば、わが根機にまかせて領解する条、宿善の厚薄によるなり。念仏往生は仏の本願なり、諸行往生は本願にあらず。念仏往生には臨終の善悪を沙汰せず。至心信楽の帰命の一心、他力より定まるとき、即得往生住不退転の道理を、善知識にあうて聞持する平生のきざみに治定するあひだ、この穢体亡失せずといへども、業事成弁すれば体失せずして往生すといはるるか。本願の文あきらかなり、かれをみるべし。つぎに諸行往生の機は臨終を期し、来迎をまちえずしては胎生辺地までも生るべからず。このゆゑにこの穢体亡失するときならでは、その期するところなきによりて、そのむねをのぶるか。第十九の願にみえたり。勝劣の一段におきては、念仏往生は本願なるについて、あまねく十方衆生にわたる。諸行往生は非本願なるによりて、定散の機にかぎる。本願念仏の機の不体失往生と、非本願諸行往生の機の体失往生と、殿最懸隔にあらずや。いづれも文釈ことばにさきだちて歴然なり」。

一 真宗所立の報身如来、諸宗通途の三身を開出する事。
 弥陀如来を報身如来と定むること、自他宗をいはず、古来の義勢ことふりんたり。されば荊渓は、「諸教所讃多在弥陀」(止観輔行伝弘決)とものべ、檀那院の覚運和尚は、また「久遠実成弥陀仏 永異諸経之所説」(念仏宝号)と釈せらる。しかのみならず、わが朝の先哲はしばらくさしおく、宗師 [異朝(中国)の善導大師] の御釈(法事讃・上 五〇七)にのたまはく、「上従海徳初際如来 乃至今時釈迦諸仏 皆乗弘誓 悲智双行」と等釈せらる。しかれば、海徳仏より本師釈尊にいたるまで番々出世の諸仏、弥陀の弘誓に乗じて自利利他したまへるむね顕然なり。覚運和尚の釈義、「釈尊も久遠正覚の弥陀ぞ」とあらはさるるうへは、いまの和尚(善導)の御釈にえあはすれば、最初海徳以来の仏々もみな久遠正覚の弥陀の化身たる条、道理・文証必然なり。「一字一言加減すべからず。ひとつ経法のごとくすべし」(散善義・意 五〇四)とのべまします光明寺(善導)のいまの御釈は、もつぱら仏経に准ずるうへは、自宗の正依経たるべし。傍依の経に、またあまたの証説あり。『楞伽経』にのたまはく、「十方諸刹土 衆生菩薩中 所有法報身 化身及変化 皆従無量寿 極楽界中出」[文]と説けり。また『般舟経』(意)にのたまはく、「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」とも説けり。
 諸仏〔の〕自利利他の願行、弥陀をもつて主として、分身遣化の利生方便をめぐらすこと掲焉し。これによりて久遠実成の弥陀をもつて報身如来の本体と定めて、これより応迹をたるる諸仏通総の法報応等の三身は、みな弥陀の化用たりといふことをしるべきものなり。しかれば、報身といふ名言は、久遠実成の弥陀に属して常住法身の体たるべし。通総の三身は、かれよりひらき出すところの浅近の機におもむくところの作用なり。されば聖道難行にたへざる機を、如来出世の本意にあらざれども、易行易修なるところをとりどころとして、いまの浄土教の念仏三昧をば衆機にわたしてすすむるぞと、みなひとおもへるか。いまの黒谷の大勢至菩薩化現の聖人(源空)より代々血脈相承の正義におきては、しかんはあらず。海徳仏よりこのかた釈尊までの説教、出世の本意、久遠実成の弥陀のたちどより法蔵正覚の浄土教のおこるをはじめとして、衆生済度の方軌と定めて、この浄土の機法ととのほらざるほど、しばらく在世の権機に対して、方便の教として五時の教を説きたまへりと、しるべし。たとへば月待つほどの手すさみの風情なり。
 いはゆる三経の説時をいふに、『大無量寿経』は、法の真実なるところを説きあらはして、対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらはせり。これすなはち実機なり。いはゆる五障の女人韋提をもつて対機として、とほく末世の女人・悪人にひとしむるなり。『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらはす二経を合説して、「不可以少善根 福徳因縁 得生彼国」と等説ける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号に結びとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。これによりて「世尊説法時将了」(法事讃・下 五七六)と等釈 [光明寺(善導)] しまします。一代の説教、むしろをまきし肝要、いまの弥陀の名願をもつて附属流通の本意とする条、文にありてみつべし。いまの三経をもつて末世造悪の凡機に説ききかせ、聖道の諸教をもつてはその序分とすること、光明寺の処々の御釈に歴然たり。ここをもつて諸仏出世の本意とし、衆生得脱の本源とする条、あきらかなり。いかにいはんや諸宗出世の本懐とゆるす『法華』において、いまの浄土教は同味の教なり。『法華』の説時八箇年中に、王宮に五逆発現のあひだ、このときにあたりて霊鷲山の会座を没して王宮に降臨して、他力を説かれしゆゑなり。これらみな海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもつて本とせらるる大都なり。

一 信のうへの称名の事。
 聖人 [親鸞] の御弟子に、高田の覚信房 [太郎入道と号す] といふひとありき。重病をうけて御坊中にして獲麟にのぞむとき、聖人 [親鸞] 入御ありて危急の体を御覧ぜらるるところに、呼吸の息あらくしてすでに絶えなんとするに、称名おこたらずひまなし。そのとき聖人たづねおほせられてのたまはく、「そのくるしげさに念仏強盛の条、まづ神妙たり。ただし所存不審、いかん」と。覚信房答へまうされていはく、「よろこびすでに近づけり。存ぜんこと一瞬に迫る。刹那のあひだたりといふとも、息のかよはんほどは往生の大益を得たる仏恩を報謝せずんばあるべからずと存ずるについて、かくのごとく報謝のために称名つかまつるものなり」と[云々]。このとき上人(親鸞)、「年来常随給仕のあひだの提撕、そのしるしありけり」と、御感のあまり随喜の御落涙千行万行なり。
 しかれば、わたくしにこれをもつてこれを案ずるに、真宗の肝要、安心の要須、これにあるものか。自力の称名をはげみて、臨終のときはじめて蓮台にあなうらを結ばんと期するともがら、前世の業因しりがたければ、いかなる死の縁かあらん。火にやけ、水におぼれ、刀剣にあたり、乃至寝死までも、みなこれ過去の宿因にあらずといふことなし。もしかくのごとくの死の縁、身にそなへたらば、さらにのがるることあるべからず。もし怨敵のために害せられば、その一刹那に、凡夫としておもふところ、怨結のほかなんぞ他念あらん。また寝死においては、本心、息の絶ゆるきはをしらざるうへは、臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。いかんしてか念仏せん。またさきの殺害の機、怨念のほか、他あるべからざるうへは、念仏するにいとまあるべからず。終焉を期する前途、またこれもむなし。仮令かくのごときらの死の縁にあはん機、日ごろの所存に違せば、往生すべからずとみなおもへり。たとひ本願の正機たりといふとも、これらの失、難治不可得なり。いはんやもとより自力の称名は、臨終の所期おもひのごとくならん定、辺地の往生なり。いかにいはんや過去の業縁のがれがたきによりて、これらの障難にあはん機、涯分の所存も達せんことかたきがなかにかたし。そのうへは、また懈慢辺地の往生だにもかなふべからず。これみな本願にそむくがゆゑなり。
 ここをもつて御釈 [『浄土文類』(教行信証)] にのたまはく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)とみえたり。「ただよく如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ひたてまつるべし」と。平生に善知識のをしへをうけて信心開発するきざみ、正定聚の位に住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり。これによりて、かの御弟子最後のきざみ、御相承の眼目相違なきについて、御感涙を流さるるものなり、知るべし。

一 凡夫として毎事勇猛のふるまひ、みな虚仮たる事。
 愛別離苦にあうて、父母・妻子の別離をかなしむとき、「仏法をたもち念仏する機、いふ甲斐なくなげきかなしむこと、しかるべからず」とて、かれをはぢしめいさむること、多分先達めきたるともがら、みなかくのごとし。この条、聖道の諸宗を行学する機のおもひならはしにて、浄土真宗の機教をしらざるものなり。
 まづ凡夫は、ことにおいてつたなく愚かなり。その奸詐なる性の実なるをうづみて賢善なるよしをもてなすは、みな不実虚仮なり。たとひ未来の生処を弥陀の報土とおもひさだめ、ともに浄土の再会を疑なしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどへる凡夫として、なんぞこれなからん。なかんづくに、曠劫流転の世々生々の芳契、今生をもつて輪転の結句とし、愛執愛着のかりのやど、この人界の火宅、出離の旧里たるべきあひだ、依正二報ともに、いかでかなごりをしからざらん。これをおもはずんば、凡衆の摂にあらざるべし。けなりげならんこそ、あやまつて自力聖道の機たるか、いまの浄土他力の機にあらざるかとも疑ひつべけれ。愚かにつたなげにしてなげきかなしまんこと、他力往生の機に相応たるべし。うちまかせての凡夫のありさまにかはりめあるべからず。
 往生の一大事をば如来にまかせたてまつり、今生の身のふるまひ、心のむけやう、口にいふこと、貪瞋痴の三毒を根として、殺生等の十悪、穢身のあらんほどはたちがたく伏しがたきによりて、これをはなるることあるべからざれば、なかなか愚かにつたなげなる煩悩成就の凡夫にて、ただありにかざるところなきすがたにてはんべらんこそ、浄土真宗の本願の正機たるべけれと、まさしく仰せありき。
 さればつねのひとは、妻子眷属の愛執ふかきをば、臨終のきはにはちかづけじ、みせじとひきさくるならひなり。それといふは、着想にひかれて悪道に堕せしめざらんがためなり。この条、自力聖道のつねのこころなり。他力真宗にはこの義あるべからず。そのゆゑは、いかに境界を絶離すといふとも、たもつところの他力の仏法なくは、なにをもつてか生死を出離せん。たとひ妄愛の迷心深重なりといふとも、もとよりかかる機をむねと摂持せんといでたちて、これがためにまうけられたる本願なるによりて、至極大罪の五逆・謗法等の無間の業因をおもしとしましまさざれば、まして愛別離苦にたへざる悲嘆にさへらるべからず。浄土往生の信心成就したらんにつけても、このたびが輪廻生死のはてなれば、なげきもかなしみももつともふかかるべきについて、後枕にならびゐて悲歎嗚咽し、左右に群集して恋慕涕泣すとも、さらにそれによるべからず。さなからんこそ凡夫げもなくて、ほとんど他力往生の機には不相応なるかやともきらはれつべけれ。さればみたからん境界をもはばかるべからず、なげきかなしまんをもいさむべからずと[云々]。

一 別離等の苦にあうて悲歎せんやからをば、仏法の薬をすすめて、そのおもひを教誘すべき事。
 人間の八苦のなかに、さきにいふところの愛別離苦、これもつとも切なり。まづ生死界のすみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住なるありさまを説きて、うれへなげくばかりにて、うれへなげかぬ浄土をねがはずんば、未来もまたかかる悲歎にあふべし。しかじ、「唯聞愁歎声」(定善義 四〇六)の六道にわかれて、「入彼涅槃城」(同)の弥陀の浄土にまうでんにはと、こしらへおもむけば、闇冥の悲歎やうやくにはれて、摂取の光益になどか帰せざらん。つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみを添ふるやうには、ゆめゆめとぶらふべからず。もししからば、とぶらひたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。酒はこれ忘憂の名あり。これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし。さてこそとぶらひたるにてあれと仰せありき。しるべし。

一 如来の本願は、もと凡夫のためにして、聖人のためにあらざる事。
 本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人仰せられていはく、世のひとつねにおもへらく、「悪人なほもつて往生す。いはんや善人をや」と。この事とほくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆゑは五劫思惟の劬労、六度万行の堪忍、しかしながら凡夫出要のためなり、まつたく聖人のためにあらず。しかれば凡夫、本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願虚設なるべし、力徒然なるべし。しかるに願力あひ加して、十方衆生のために大饒益を成ず。これによりて正覚をとなへていまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば、御釈(玄義分 三〇一)にも、「一切善悪凡夫得生者」と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば、善人なほもつて往生す。いかにいはんや悪人をやといふべしと仰せごとありき。

一 罪は五逆・謗法生るとしりて、しかも小罪もつくるべからずといふ事。
 おなじき聖人(親鸞)の仰せとて、先師信上人(如信)の仰せにいはく、世の人つねにおもへらく、「小罪なりとも罪をおそれおもひて、とどめばやとおもはば、こころにまかせてとどめられ、善根は修し行ぜんとおもはば、たくはへられて、これをもつて大益をも得、出離の方法ともなりぬべし」と。この条、真宗の肝要にそむき、先哲の口授に違せり。まづ逆罪等をつくること、まつたく諸宗の掟、仏法の本意にあらず。しかれども、悪業の凡夫、過去の業因にひかれてこれらの重罪を犯す。これとどめがたく伏しがたし。また小罪なりとも犯すべからずといへば、凡夫こころにまかせて、罪をばとどめえつべしときこゆ。しかれども、もとより罪体の凡夫、大小を論ぜず、三業みな罪にあらずといふことなし。しかるに小罪も犯すべからずといへば、あやまつても犯さば往生すべからざるなりと落居するか。この条、もつとも思択すべし。これもし抑止門のこころか。抑止は釈尊の方便なり。真宗の落居は弥陀の本願にきはまる。しかれば、小罪も大罪も、罪の沙汰をしたたば、とどめてこそその詮はあれ、とどめえつべくもなき凡慮をもちながら、かくのごとくいへば、弥陀の本願に帰託する機、いかでかあらん。謗法罪はまた仏法を信ずるこころのなきよりおこるものなれば、もとよりそのうつはものにあらず。もし改悔せば、生るべきものなり。しかれば、「謗法闡提回心皆往」(法事讃・上 五一八)と釈せらるる、このゆゑなり。

一 一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべしといふ事。
 このこと、多念も一念もともに本願の文なり。いはゆる、「上尽一形下至一念」(礼讃・意 六五九)と等釈せらる、これその文なり。しかれども、「下至一念」は本願をたもつ往生決定の時剋なり、「上尽一形」は往生即得のうへの仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこころえみだす条、すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも先達よりうけたまはり伝へしがごとくに、他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、いのちあらんほどは念仏すべし。これすなはち「上尽一形」の釈にかなへり。
 しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。
 そのゆゑは願(第十八願)成就の文(大経・下)には、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 願生彼国 即得往生 住不退転」と説き、おなじき『経』の流通(同・下)には、「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此人 為得大利 即是具足 無上功徳」とも、弥勒に付属したまへり。しかのみならず、光明寺(善導)の御釈(礼讃 六七六)には、「爾時聞一念皆当得生彼」と等みえたり。これらの文証みな無常の根機を本とするゆゑに、一念をもつて往生治定の時剋と定めて、いのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理をあかせり。されば平生のとき、一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところ、文証・道理顕然なり。
 もし多念をもつて本願としたまはば、多念のきはまり、いづれのときと定むべきぞや。いのちをはるときなるべくんば、凡夫に死の縁まちまちなり。火に焼けても死し、水にながれても死し、乃至、刀剣にあたりても死し、ねぶりのうちにも死せん。これみな先業の所感、さらにのがるべからず。しかるにもしかかる業ありてをはらん機、多念のをはりぞと期するところ、たぢろかずして、そのときかさねて十念を成じ来迎引接にあづからんこと、機として、たとひかねてあらますといふとも、願としてかならず迎接あらんことおほきに不定なり。
 されば第十九の願文にも、「現其人前者」(大経・上)のうへに「仮令不与」と等おかれたり。「仮令」の二字をばたとひとよむべきなり。たとひといふは、あらましなり。非本願たる諸行を修して往生を係求する行人をも、仏の大慈大悲御覧じはなたずして、修諸功徳のなかの称名をよ〔り〕どころとして現じつべくは、その人のまへに現ぜんとなり。不定のあひだ、「仮令」の二字をおかる。もしさもありぬべくはといへるこころなり。まづ不定の失のなかに、大段自力のくはだて、本願にそむき仏智に違すべし。自力のくはだてといふは、われとはからふところをきらふなり。つぎにはまた、さきにいふところのあまたの業因身にそなへんこと、かたかるべからず。他力の仏智をこそ「諸邪業繋無能礙者」(定善義 四三七)とみえたれば、さまたぐるものもなけれ。われとはからふ往生をば、凡夫自力の迷心なれば、過去の業因身にそなへたらば、あに自力の往生を障礙せざらんや。
 されば多念の功をもつて、臨終を期し来迎をたのむ自力往生のくはだてには、かやうの不可の難どもおほきなり。されば紀典(白氏文集)のことばにも、「千里は足の下よりおこり、高山は微塵にはじまる」といへり。一念は多念のはじめたり、多念は一念のつもりたり。ともにもつてあひはなれずといへども、おもてとしうらとなるところを、人みなまぎらかすものか。いまのこころは、一念無上の仏智をもつて凡夫往生の極促とし、一形憶念の名願をもつて仏恩報尽の経営とすべしと伝ふるものなり。

 元弘第一の暦 辛未 仲冬下旬の候、祖師聖人 本願寺親鸞 報恩謝徳の七日七夜の勤行中にあひ当りて、先師上人 釈如信 面授口決の専心・専修・別発の願を談話するのついでに、伝持したてまつるところの祖師聖人の御己証、相承したてまつるところの他力真宗の肝要、予が口筆をもつてこれを記さしむ。これ往生浄土の券契、濁世末代の目足なり。ゆゑに広く後昆を湿し、遠く衆類を利せんがためなり。しかりといへども、この書においては機を守りてこれを許すべく、左右なく披閲せしむべからざるものなり。宿善開発の器にあらずんば、痴鈍の輩、さだめて誹謗の唇を翻さんか。しからばおそらく生死海に沈没せしむべきのゆゑなり。深く箱底に納めてたやすく&M041329;を出すことなからんのみ。
                            釈宗昭

 先年かくのごとくこれを註記しをはり、慮外にいまに存命す。よつて老筆を染めてこれを写すところなり。姓いよいよ朦朧、身また羸劣、右筆に堪へずといへどもこの書を遺跡に残留するは、もし披見するの人、往生浄土の信心開発するかのあひだ、窮屈を顧みず灯下において筆を馳せをはりぬ。
 康永三歳甲申九月十二日、亡父の尊霊御月忌にあひ当るがゆゑに、写功を終へをはりぬ。
                         釈宗昭七十五

 同年十月二十六日夜、灯下において仮名を付しをはりぬ。