善法寺の歴史

禅宗四世の時代

戦国時代の弘治二年(1556年)、安芸国沼田郡阿戸村の住人であった前田權介清重は出家得度してと惠善と名を改め、阿戸村に蓮光庵という名の庵をむすぶ。この蓮光庵が善法寺の前身である。当時は臨済宗仏通寺派であった。蓮光庵は第二世惠観、第三世唯念、第四世念誓へと引き継がれる。

浄土真宗への転宗

江戸時代に入り、第四世念誓は浄土真宗に転宗する。寛永八年(1631年)、念誓は現在の広島市寺町に寺院を建立する。これが善法寺の始まりである。

寺号公称

正保四年(1647年)、第五世超巴は京都興正寺より寺号「善法寺」を付与される。その後、第六世護城、第七世除冥、第八世龍勝、第九世智勇、第十世智全が善法寺住職を務める。文化十二年(1815年)、第十一世至暁は本願寺第十九世本如上人より木仏尊像を下付されるとともに寺号「善法寺」を免許される。第十二世来眼を経て、明治十二年(1879年)、第十三世至誠は本願寺より重ねて寺号公称を許可される。

己斐への移転

第十四世至道は昭和四年(1929年)、広島市己斐町に布教所「善法寺樹心教会」を設置し、己斐の町で布教活動を始める。昭和十一年(1936年)、至道の弟前田伊織と門徒の尽力により己斐町に善法寺の本堂・書院・庫裏が完成。寺町の善法寺は昭和二十年(1945年)の原爆投下によって焼失した。